母親に二度捨てられた
ユリアの壮絶な半生
1995年、ハルキウで生まれたユリアの人生は波瀾万丈で苦労の連続だった。2歳の時に両親は彼女を置いて家を出て行った為、父方の祖父母に養子として育てられることになった。祖父は脳卒中で右脳が麻痺し、25年間、寝たきりで会話ができない状態だった。困窮とはいかないまでも生活は厳しかったが、祖母のタマラさんは母親代わりになって世話をした。
「おばあちゃんはとても優しくて、精神的に強い人でした。小学校の授業参観日には、おばあちゃんが来てくれていたのですが、クラスメイトから『どうしてパパやママが来ないの?またおばあちゃんが来た』とからかわれ、恥ずかしくもあり、とても悔しい思いをしました」
両親がいないことで辛い思いをしたユリアをタマラさんは優しく慰めてくれた。私は幼い頃に両親が離婚し、私を引き取った母は昼夜問わずに外で働き、祖母がずっと私の世話をしてくれたので、ユリアの話を聞きながら自分の過去を思い出していた。
高校を卒業後はハルキウの専門学校でマーケティングとデザインについて学んだ。その後、結婚、出産をし、乳飲み子のアリサを抱っこしてキーウの大学へ通った。ウクライナ人女性は知識や技術の習得に対する意欲が強いと言われているが、ユリアも将来を見据えて大学へ進んだ。
卒業後は建設会社に就職し、マーケティングに関する仕事に従事していた。夫はアリサが2歳の時に家を出てしまい、その後の行方はわからないという。シングルマザーとなったユリアは、祖母の助けを借りながら必死に働いた。
顔すら覚えていないけれど、両親が自分を捨てた理由を聞きたい。ユリアは両親を探し続け、23歳の時、母と再会を果たした。しかし、かけられた言葉は「あなたの為に時間を使うのはもったいない、もう連絡をしないでちょうだい」というものでその後再び音信不通になったという。







