この論文を嬉々として、僕に伝えてきたのは誰あろう北海道大学名誉教授で、僕のボスである東正剛先生だった。
「おい村上!アリはしゃべるぞ!!」、「この論文を読め!」と言う。相変わらず強引だ。さらに「オレはアリの蛹が音を出すと思う!」と宣う。
その斬新なアイデアに対し、「そうですね。蛹も音を出す可能性があるかもしれないですね、東先生!」と言うわけではないところに、僕らの関係性の妙味がある。
そのとき、僕は半信半疑で、「いや~、さすがに蛹が音を出すことはないんじゃないですかね?」と答えた。
しかし、東先生は早々にツテをたどってアリの音を録音する装置まで開発。本当に動きが早い御人だ。
その録音装置で自らが研究対象とするアリの幼虫で音響データを集めはじめたのだが、日本のアリでは、なんだかモニュモニュした雑音だか、アリの音だかわからないものしか録音できなかったという。
「ハキリアリの巣の中にも入れたいから、今度パナマに行くときに録音装置を持っていくわ」と東先生。
僕は、まあ確かにハキリアリは警戒音をメジャーワーカーが出しているから、何かしらの音は録れるだろう、という程度で、そこまで大きな期待をせずにパナマに向かった。
宇宙人の会話のように
“言葉”を交わしていた
そして、2012年9月9日(日)。この夜のことは、今でも鮮明に覚えている。
パナマ共和国ガンボアにあるスミソニアン熱帯研究所の宿舎の一室。日中、採集してきたハキリアリの菌園、働きアリ、そして幼虫数個体を録音装置のボックスにセットし、コンピュータに接続。そこにつないだイヤホンを耳に当てた瞬間――
キョキュキュキュ キュキュキュキュキュ
ザザザ!ギギ、ギュンギュン!!
キョキュキュキュ キュッキュキュキュキュキュ
キュキュキュ キュキュキュ、ギョギョ!
さんざめくアリたちの声が僕の耳に飛び込んでくる。それは、ただの「虫の鳴き声」で片づけられるものではなかった。
もちろん、何を言っているのかわからない。
でも、そこには確実に“応答”があった。まるで宇宙人の会話を盗み聞きしているような背徳感。「言葉」の存在をその瞬間から感じさせるほどの圧倒的な音の渦、流れ、重なり。
顔を上げ、イヤホンを外して隣にいる東先生の顔をじっと見る。
『アリ先生、おしゃべりなアリの世界をのぞく』(村上貴弘、扶桑社)
「どうした?」
「これはかなり、ヤバいです」
本当にヤバい世界をのぞいてしまった、と思った。そして、とてつもなく面白い研究になるだろう、と直感した。
アリがここまでしゃべるということ自体、大発見だけれど、僕が研究対象としてきたキノコアリたちを使えば、コミュニケーションの度合いと進化の段階や社会の複雑さとの関係も明らかにできるはず。
また、音によるコミュニケーションは人間社会にも応用できる。もしかしたら、アリとしゃべれるかも!?それはすごいことだと思いません?こうして、アリの音に耳を傾ける日々がはじまった。







