「普段生活している東京のアパートでは、壁1枚挟んだ隣の部屋の人の名前も知らず、周りの人を気にかけることも、気にかけてもらえることもありません。あんなに人で溢れている街の中で、会話らしい会話を一度もしない日だってあります」
これらは、地域と若者世代をつなぐプログラム「にいがたイナカレッジ」の小冊子『心と身体の旅をする』からの抜粋だ。
コーディネーターを務める井上有紀が、若者世代の視点から見た関係人口の意味を考えたい、と参加者の声をまとめている。若者世代の率直なモヤモヤがリアリティを持って伝わってくる。
つながりを失った若者は
温かい地方を求め出した
高橋(編集部注/高橋博之。『東北食べる通信』創刊編集長。関係人口の提唱者で、「関係人口とは、交流人口と定住人口の間に眠るものとした)は、都市住民にとって、人とのつながりは「もはや贅沢品になっている」と言う。
筆者も、ふるさと難民を自称している友人が、「ふるさとがほしい」と声を絞り出す場面に立ち会ったことがある。
その友人に、ふるさととは何を意味しているのか尋ねると、たとえば「ただいま」と言えば「おかえり」と返ってくるような、つながりを持てる場所のことを指しているという答えだった。
たしかに都市に暮らしていると、客や消費者として「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」と声をかけられる場面はあっても、「ただいま」「おかえり」と言い合うつながりは持ちにくいのだろう。
つながりに価値を感じる都市の若者世代にとって、つながりがある場所としてふるさとが求められていること。そして、都市よりもつながりが残る地方がふるさとになると受け止められていること。首都圏生まれの増加を背景に、こうした潮流が生まれ、目立ってきているとまとめることができる。
人とのつながりこそが
社会的価値を持つ時代に
『〈私〉時代のデモクラシー』の著者・宇野重規は、かつて近代は、伝統的なつながりの束縛からいかに個人を解放するか、という命題があったが、現代は、つながりとは「スキル(技術)」によって個人がつくり、維持するものであり、個人にとっての財産になった、と解説している。そのうえで、「時代が変わった」と強調している。







