東京大学のウェブサイトには、「関東ローカルの大学になりつつある」という問題意識が綴られたページもある。
これだけ人が溢れる東京で
会話すらない毎日を過ごす
なぜ首都圏出身が増えると、ふるさと難民のような存在が生まれてくるのか。それは彼・彼女たちのライフスタイルを確認すると理解できる。
ふるさと難民世代の若者に、子どもの頃について話を聞くと、郊外の団地で生まれ育って団地外の小中高校に通っていたケースが少なくない。
修学時間が終わっても習い事や塾、部活動で忙しく、暮らしている団地には「寝に帰るだけ」。郊外の団地の別名は「ベッドタウン」だが、その名の通りかもしれない。
そうなると、同級生やその保護者など、学校を通じたつながりが生まれにくく、隣家の住民とは挨拶を交わしても、数軒先とは会話をするきっかけを持ちにくい。地方でイメージされがちな、常連のように通う食堂や顔なじみの店員といった存在も、チェーン店が立ち並ぶなかでは見つけにくい。
その結果、顔の見えるつながりがほとんどなく、生まれ育った地域に愛着が持てない、というのだ。
こうした環境は、大学に入学して仮に一人暮らしのアパートに引っ越しても大きく変わることはない。さらに、大学を卒業して社会人になっても、毎日が自宅と職場の往復で、休日の夜にふと振り返ると、コンビニエンスストアの店員以外とは誰ともやりとりしていない、というのも耳にする話だ。
実際に若者世代の声を聞いてみよう。
「今、大学の周りのアパートを借りて、一人暮らしをしています。数センチの壁で隔たれた隣の部屋に、誰が住んでいるのか分かりません。一歩外に出て、大学に向かう際、うつむきながら、無言でたくさんの人とすれ違います。友達と会って、今日初めての声と笑顔が出ます。他人なのだから、むやみに接触しないのは当たり前。そう頭で理解しながらも、どうしても『1人で生きる』ことに圧迫を感じ、今の暮らしに違和感・モヤモヤを抱いていました」







