日本企業に忍び寄る
「多角化ディスカウント」の影

 M&Aと事業再編は企業統治のメカニズムであり、M&Aを通じて、経営資源を最も効率的に利用できる所有者にその資源を移転するのが、社会的にも理にかなっている――この考え方のベースは、1970年代半ばに初めてアメリカの学会で提唱された。2000年代以降、日本でも「選択と集中」や「ベストオーナー論」として議論が活発化し、事業再編が進んでいる。その背景として、早稲田大学商学学術院教授の鈴木一功氏は「ガバナンス構造の変化」を挙げる。

「アベノミクス下で始まったガバナンス改革の進展により、長期株式投資家による経営監視が促進され、企業買収が構造改革の重要な手段と見なされるようになりました」

ノンコア事業売却のジレンマをどう乗り越えるか持続的成長に向けた未来への布石早稲田大学 商学学術院
教授 鈴木一功氏
Kazunori Suzuki
東京大学法学部卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)入社。INSEAD MBA、London Business School Ph.D.。中央大学を経て、2012年4月より早稲田大学商学学術院教授。みずほ銀行コーポレートアドバイザリー部外部アドバイザー。主な著書に『企業価値評価(入門編)』『企業価値評価(実践編)』(いずれもダイヤモンド社)。専門分野は、企業財務、M&A。

 日本のM&A市場は成長を続けており、2024年には4500件を突破。2014年以降は、①国内の事業再編、②大企業のクロスボーダー大型案件、③中小企業の事業承継という3層化が進んでいるという。

 M&Aにおいて買い手となるベストオーナーには「ストラテジックバイヤー」(事業体)と「フィナンシャルバイヤー」(ファンド)の2種類がある。前者はさらに同業と異業種に分かれ、「それぞれ一長一短がある」と鈴木氏は指摘する。

「同業の場合、シェアの拡大やノウハウの共有といったメリットがある一方、主導権争いが激化したり、結果的に弱者連合に陥ったりするデメリットがあります。異業種の場合には、技術・ノウハウの補完やシナジー効果が期待できるものの、お互いのビジネスへの理解不足から事業運営に支障を来すおそれがあります」

 他方、フィナンシャルバイヤーには、「過去の投資で蓄積した多様な知見、豊富な資金力や経営・財務管理ノウハウといった利点がある」と鈴木氏。だが、最終的にはIPOやストラテジックバイヤーへの売却を視野に入れているため「『一時的な付き合い』という前提で経営を考える必要がある」と補足する。

 ストラテジックバイヤーは海外にも存在するが、現状ではクロスボーダーの売却・買収は少ない。背景として、コミュニケーションの難しさやカルチャーの違い、さらに海外企業への売却については「経済安全保障に関わる技術流出懸念」を鈴木氏は挙げる。

 また、M&Aの議論では、複数分野に多角化した企業が専業企業と比較して低く評価される「多角化ディスカウント」の問題を避けては通れない。国際学会では、その有無をめぐっていまなお議論が続いており、鈴木氏はその背景をこう説明する。

「多角化ディスカウントを計測する際には、単独事業会社の価値を指標に、複合企業の各事業の価値を積み上げ、複合企業の実際の価値と比較して、その差を見ます。しかし、単独事業会社と複合企業の各事業がまったく同じ価値であるはずがなく、その妥当性を疑問視する研究者が一定数います」

 一方で国内の学会では、日本企業における多角化ディスカウントが報告されており、最新の研究では近時拡大傾向にあることが示されている。2000年初頭、ディスカウントはプラスで推移していたが、ここ数年はマイナス10~15%に落ち込んでいるという。この現象について、鈴木氏は「市場で資金がダブつき、外部からの資金調達が容易であるため、社内で資金を融通することの価値が下がって結果的にディスカウントが大きくなっているのではないか」と解説する。

「選択と集中」という掛け声の下、日本企業の経営改革が進展したことは間違いない。その点を認めつつ、鈴木氏は「不採算部門のリストラと成長戦略の実行をセットで進めるべき。日本の雇用の流動性の低さを考慮すれば、欧米とは違った『ソフトな選択』が模索されるべきではないか」と私見を述べる。日本流のM&Aをいかに確立するか。学術界からの提言が一つの羅針盤となるだろう。