そこには「国内外の主権簒奪勢力と反国家勢力の蠢動により今、大韓民国が危ない。私は皆さんとともにこの国を守るために最後まで闘う」とあった。市民を闘いに駆り立てる煽動だった。
リーダーの尹錫悦が、残る4つの集団を有機的に結びつける役割を果たしている。
アメリカを彷彿とさせる
韓国民主主義の分断と熱狂
集会は12月から3月まで全国で続いた。2月8日には韓国民主化運動の聖地・光州でも行われ、韓国社会にショックを与えた。
『分断八〇年 韓国民主主義と南北統一の限界』(徐 台教、集英社クリエイティブ)
進歩派と保守派の分断はすでにあったが、それが暴力的様相を呈してきたことへの不安は日増しに強まっていた。
韓国ではこの時期、『民主主義の死に方』(未邦訳)、『内戦はどう起こるのか』(邦題は『アメリカは内戦に向かうのか』)といった本が飛ぶように売れた。米国の研究者による書籍だが、韓国内の識者たちが「韓国と似ている」と評したことで、藁にもすがる思いで人々が手に取っていたのだろう。
尹錫悦の非常戒厳はこのように、社会の水面下で渦巻いていた破壊的衝動を顕在化させた。さらに識者が指摘するように韓国が抱える南北分断が、ユーチューブやネット社会の特徴と言える陰謀論や強い表現と相性がいいことがあらためて明らかになった。
明確な敵の存在は、不可能を可能にしてしまう。一連の動きは、韓国社会が経験したことのないものであった。







