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「ヒトは進化した結果、より賢く、より優れた存在になった」と考えられがちである。しかし、このような通俗的な理解には、大きな誤認が潜んでいる。ダーウィンの「進化論」は、イデオロギーや社会の変化によって、その理論を大きく捻じ曲げられているのだ。多くの人が知らない、「進化論」の真実に迫る。※本稿は、進化生物学者の長谷川眞理子『美しく残酷なヒトの本性 遺伝子、言語、自意識の謎に迫る』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。
進化論という言い回しには
多くの誤解がつきまとう
私は「進化論」という言い回しが大嫌いである。
だから、私が書いたり話したりするときには、「進化論」という言葉は絶対に使わない。進化理論、または進化生物学と言う。そうすると、わざわざそれを「進化論」に直してくる校正者もいるので、日本では、よほどこの言い回しが浸透しているのだろう。
なぜ進化論という言い方が嫌いかと言うと、1つには、進化がたんなる1つの見方にすぎないと表していると思うからだ。
ルソーの「人間不平等起源論」といったように、「論」というものは、ある現象についてある人が考えてつくり上げた1つの説明にすぎないと聞こえる。しかし、進化はそれにとどまってはいないのだ。
ダーウィンは、生物のいろいろな種がなぜ現在のような地理的分布を見せるのか、なぜガラパゴス諸島という絶海の孤島群に、南米本土と似たような鳥が棲んでいて、しかもその鳴き声が本土のものとは違うのか、といった事実を列挙し、それらの事実のすべてを説明するには、生物が1つのものから別のものへと変化するという進化論で考える以外にはない、と論じた。







