未開人は原始的な社会に住んでいるが、文明が進むと少しずつ社会が進歩し、最高の状態を実現しているのが西欧白人社会である、という進歩史観である。
これは、当時はずいぶんと流行し、日本にも明治期にもたらされた。社会進化論によれば、日本だって、白人社会よりも劣る段階にある後れた文化なのだが、日本人はこの議論を受け入れた。文明開化して西欧に追いつけ、という思潮がこれを受容したのだろうか。
しかし、「社会進化論」は、実証的学問に発展する要素はなく、西欧白人至上主義の価値観を軸に論じられているだけのものだ。
その後、社会進化論に含まれるさまざまな誤りが指摘され、それが大きな学問分野を形成することはなく、捨て去られた。
狩猟採集社会を「未開」と見るのは間違いであり、文明開化が起これば、やがてすべての社会が西欧白人社会のようになるということもないのだ。
ダーウィンの進化の理論は
イデオロギーに乗っ取られた
文明開化が起これば、どんな社会もやがて、西欧白人社会のようになる、という考えを支持する証拠の1つが、じつは日本であったようだ。
明治時代、文明開化によって、日本は西欧社会のようになろうとした。次に、太平洋戦争に敗北して、アメリカの占領下に入ったあと、占領軍は日本をアメリカのような民主主義の国にしようとし、戦後日本もそれに倣おうとしてきた。
ところが、それと同じようになるかとアメリカが思ったが、ならなかったのが、イラクではないか?サダム・フセインを倒し、独裁をやめさせれば、かつての日本のようにイラクは民主国家になるだろうと思っていたところ、そうはならなかった。
その後、BRICSという国々が強力になり、グローバル・サウスという言い方も出現した。いまや、第二次世界大戦後に築かれてきた秩序も崩壊するかという事態に直面し、もはや、単純な進歩思想をもち続けられる人は少ないのではないだろうか?
しかし進歩史観は、19世紀の主流であったように思う。産業革命が起こり、人類は自らのエネルギー資源を手に入れた。それによって物の生産はどんどん活発になり、多くの人びとの生活が向上した。







