実は自己は固定されたものではなく、私たちは自分の考えや行動などを絶えず意識的に自己評価し、これまでの人生で経験してきたことを蓄積することによって、つねに自己というものをつくりあげているのだ。
意識的に考えてしまう主観的自己と
経験に裏打ちされた客観的自己
19世紀の哲学者ウィリアム・ジェームズは、意識的に行動し、知識を蓄え、思考する「主観的自己(I-self)」と、自分の行動や知識、思考を客観的にとらえる「客観的自己(My-self)」を区別した(注1)。この区別は有用である。
主観的自己と客観的自己の違いを説明するために、こんな質問をさせてほしい。
「バニラとチョコレートのアイスクリーム、どっちが好き?」
ちょっと時間を取って考えよう。
この質問に答える際の参考になるように、あなたがふだん考えない、自己の側面を説明しよう。
第1に、あなたには「自覚する意識」がある。今の質問を読む間、頭の中の声で文章を読み上げ、質問を理解し、答えを考え始めたはずだ。
この意識的な自覚が、「主観的自己」である。
この自己は、あなたが自覚している心の中の世界だ。あなたはこの世界の中で考えをめぐらせたり、感情を抱いたりする。
だが、この意識的な主観的自己が考えたり感じたりするためには、あなたが蓄積してきた知識や経験が必要になる。
たとえばあなたはアイスクリームの質問に答えるために、それと関連する情報を記憶から引き出さなくてはならない。
あなたの記憶の中には、アイスクリームについての知識やそれを食べた経験などが記録されている。こうした知識や個人的経験と、それらをもとにあなたが「私はこういう人間だ」と客観的にとらえる自己像が、「客観的自己」である。
主観と客観の混ざり合いから
自分が形作られる
主観的自己と客観的自己は区別できるが、これら両方の自己が互いに影響し合って、「自己」という全体像をつくっている。
(注1)James, W. (1890), Principles of Psychology (New York:Holt)







