『「子供を殺してください」という親たち』原作:押川剛 漫画:鈴木マサカズ/新潮社
さまざまなメディアで取り上げられた押川剛の衝撃のノンフィクションを鬼才・鈴木マサカズの力で完全漫画化!コミックバンチKai(新潮社)で連載されている『「子供を殺してください」という親たち』(原作/押川剛、作画/鈴木マサカズ)のケース9「史上最悪のメリークリスマス(2)」から、押川氏が漫画に描けなかった登場人物たちのエピソードを紹介する。(株式会社トキワ精神保健事務所所長 押川 剛)
保健所の言い分「本人の意思を尊重する」は悪質!?
今回の依頼は、心を病んで一人暮らしのマンションに10年間も引きこもっているという黒澤美佐子(仮名)を、病院に連れて行ってほしいという両親からのものだ。
まだ37歳の美佐子の年齢を考えると、今後のためにも保健所との関係を作っておいた方がいいと私は考えた。そこで保健所に事前に美佐子の家に訪問してもらいたいと相談するのだが、保健所が渋るというのが今回のあらすじだ。
なぜ相談先が保健所なのか説明しよう。
精神疾患を患う(あるいはその疑いのある)人物から暴力や暴言を受けたり、近隣トラブルなどがあったりすると、多くの人は警察に相談する。しかし、精神的な障害を抱える人に関する福祉などの分野に関していえば、主管行政機関は保健所なのだ。
保健所は、当事者や家族等からの相談を受けるだけでなく、自宅訪問や受診勧奨といった業務も行う。
そのため私の事務所では、依頼を受けたら必ず家族とともに保健所に赴き、自宅訪問や入院先の紹介などをお願いする。そのうえで、本人に自傷他害行為の恐れがある場合は、警察にも相談に行く。
これはすべて、当事者の安全・安心、そして人権を守ったうえで医療につなげるための業務であり、「精神障害者移送サービス」における重要な柱の1つだ。
しかし、今も昔も保健所は及び腰である。対応困難なケースほど、なんだかんだと理由をつけて関わらなくて済むように持っていくことが多いと感じる。
相談のなかには危険なケースや面倒極まりないケースもあるので、「できれば関わりたくない」という気持ちも分からなくはない。
ただ保健所は、制度にのっとって自宅訪問や受診勧奨といった現場介入ができる唯一の行政機関だ。福祉という観点からみても当事者の命を守ることは最優先事項であり、退院後の支援を踏まえても介入は必須である。
漫画には、美佐子の同意がないことを理由に保健所が対応を拒む場面が出てくる。だが命の問題を「本人の意思の尊重」という自己責任論にすりかえる詭弁はあってはならない。
考えてみてほしい。例えば警察や自衛隊をはじめとする治安を司る公的機関が、「危険だから・面倒だから」と仕事を選べるだろうか。そんなことをしたときには、国民が許さないことは明らかだ。
命を守るという意味では、精神保健福祉行政分野も同等である。大げさだと思う方は、コロナ禍を思い出してほしい。我々はあのとき、いかに保健所が国民の命を守る使命と権限をもっているか、痛感したはずだ。
漫画の話に戻ろう。私は消極的だった保健師を現場のマンションに連れてくることはできたが、彼らに当事者の命を助けようという気持ちはみじんも感じられなかった。これは同行した母親も同様だ。
私の動きに対し、「入院先は確保できていて、お宅は24日に連れて行ってくれさえすればいいのに、どうして事を荒立てるのか」と、母親は切々と訴えてきた。
母親に輪をかけて酷かったのが、父親である。我が子が精神疾患を患っていることを知りながら、10年もの間マンションの一室に放置してしまう。
ようやく医療につなげる段になっても、法的根拠や人権への配慮もなく、ただ「病院に連れて行ってくれさえすればいい」とのたまう――。我が子という1人の人間に対し、あまりにも非人間的・非人道的だった。
実は、家族が非人間的・非人道的であるほど、保健所も、自己責任論を理由に非介入の立場をとりやすくなる。特に経済力のある家庭に対しては、「移送は民間業者にお金を払って頼んでいるんですから、そちらでやることです」という言い分も、荒唐無稽とまではいえなくなる。
「本人の意思を尊重する」とさえ言っておけば、あたかも人間的・人道的な対応をしている空気まで醸し出せるのだ。
現代社会の裏側に潜む家族と社会の闇をえぐり、その先に光を当てる。マンガの続きは「ニュースな漫画」でチェック!
『「子供を殺してください」という親たち』原作:押川剛 漫画:鈴木マサカズ/新潮社
『「子供を殺してください」という親たち』原作:押川剛 漫画:鈴木マサカズ/新潮社







