そのうえ、脊髄に散在しているはずの銃弾の破片がまだ摘出されておらず、下半身麻痺の状態だった。

 私は、この被害者についての警察の調書を読んだうえで、検察庁としても被害感情について調書を作成すべく、検察事務官とともに入院先の病院に赴いた。

 被害者は、集中治療室のベッドに寝たままの状態だった。

 その様子を見た私は、被害者に挨拶をしたものの、事情聴取を行うことができなかった。

 目の前の、無言でいる被害者の無念さ、悔しさが、その姿から強烈に伝わってきた。被害者は今後、おそらく車椅子生活となり、排泄のコントロールさえもできなくなるおそれがある。

 一生懸命に働いてきて、真面目に人生を送ってきた人間が、なぜ、理不尽にも突然、こんなむごい目に遭わなければならないのか。

「なぜ、他の誰かではなく自分なんだ」

 被害者からそう問いかけられたら、私は何と答えるか。

 検事である前に、1人の人間である私に突きつけられた無言の根源的な問いかけは、私の心を凍りつかせ、沈黙させ、内心うろたえさせるのに十分であった。

危機的状況にあったのは
被害者本人だけはなかった

 被害者は、当時、本人ばかりでなく肉親までもが危機的状況にあった。

 被害者の父親は、入院して意識のない重篤な状態にあり、被害者の母親や姉が看護をしていた。

 このような状況下で、その日も母親は夜勤明けで帰宅する息子のために、自宅で朝食の準備をしていた。そこへ、息子の同僚から電話で息子が被害者となった旨の連絡を受けた。ショックのあまり、母親はその場に崩れ落ちたという。

 被害者の置かれた状況を知るに及んで、それが検事の仕事とはいえ、被害者に「犯人についてどう思っていますか」などととってつけたような質問をすること自体、憚られ、不謹慎に思え、私には到底無理だった。

 入院中の夫の病状を案じながらも、真面目に仕事をして夜勤明けで疲れて帰宅する息子のために、毎日、温かい朝食を作る母。その手料理を楽しみに帰宅の途に就こうとしたところ、息子は銃撃されたのだった。