そのときの母親の心境を察すると、胸が詰まって言葉が出なかった。

 私は、集中治療室のベッドで、寝たままの状態でいる被害者を見ているうちに、次第にこらえられなくなり、気づいたときには嗚咽していた。

 被疑者による銃撃で、被害者がこれまで築き上げてきた人生や家族が壊され、職場で抱いてきたであろう彼の夢や将来に暗雲が漂っている。

 同時に、結婚への期待、家族をつくることを夢見る若い彼の未来の設計図はどうなる?

 事件に遭遇したことで、一瞬のうちに、これらの夢も砕けつつあるかもしれないのだ。

 それを思うと、悔しく、悲しく、ついに私は質問を一言も発することができなかった。

「必ずや、犯人を起訴して、裁判所に厳しい処罰を求めます。どうか、お大事になさって下さい」

 と最後に、声をかけるのが精一杯だった。

 被害者にしてみれば、検事の私に対しても、

「自分の今の痛み、悔しさ、悲しさ、苦しさは、同じような被害に遭っていないお前に何が分かる。検事といえども分かるはずがない。ほっといてくれ」

「自分の人生を元に戻してほしい。どうにもならないじゃないか」

 というような暗澹たる思いだったのではなかったか。

被害者の目が訴えた
根源的な問いとは?

 被害者は、私たちが立ち去るまで、私の言葉には一切、答えなかった。答えると、現実を認めることになる。それに検事である私の言葉もまた、どうして自分がこんな目に遭わなければならなかったのか、との被害者の問いに答えていなかったからだ。

 立会事務官と私は、一礼して部屋を後にした。

 犯人の男はというと、その後、別の事件でも起訴されて最終的には死刑が確定した。

 数年後、新聞記事によって、私は男の死刑が執行されたことを知った。

 それは、23年間に及ぶ検事人生で私が担当した唯一の死刑判決の事件であった。

 ところで、犯罪被害者は、国の犯罪被害給付制度によって、給付金を受け取ることができる。