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「何しに来たの?取材って嫌いなんだよね」真珠湾攻撃以来歴戦の零戦搭乗員だった故・小町定(こまち さだむ)さんの元に生前訪ねたところ、ジャーナリストの著者はそんな言葉をかけられた。ぶっきらぼうな口調の小町さんだが、取材を重ねているうちに心を開いてくれるようになった。※本稿は、ジャーナリストの神立尚紀『零戦搭乗員と私の「戦後80年」』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
真珠湾攻撃の計画が明かされ
航海中はビール祭りに
昭和16年11月22日、翔鶴(編集部注/新造の空母)は、北千島の択捉島単冠湾に入港した。ハワイ作戦の任務をおびた、南雲忠一中将率いる機動部隊の全兵力が、ここにひそかに集結していた。出撃前、旗艦赤城に全搭乗員が集められ、真珠湾攻撃の計画が明かされる。
「びっくりしました。こりゃあ大変なことになったぞ、と。それから航海中はみんな興奮状態で、毎晩ビールを浴びるように飲んでいました。出港前に可燃物を全部陸揚げしたくせに、ビールだけはズラッと通路に並んでいて、飲み放題。プロ野球のビールかけさながらに、ビールでデッキを洗うような日が続きました。
しかしそれも、1~2日前には整然としてきましたね。
前の晩はふんどしや肌着を全部新しいのに取りかえて、興奮してみんな寝つかれませんでした。目をぱっちり開けてるやつ、ごそごそ荷物をまとめてるやつ。軍医が看護兵を連れてまわってきて、みんなに精神安定剤を注射して、それでやっと2~3時間眠れたかどうか。私の任務は母艦の上空直衛。攻撃隊で行きたかったから、命令とはいえ、これは残念でした」
翔鶴はその後、ラバウル攻略戦、ニューギニアのラエ、サラモア攻撃を経て、4月にはインド洋作戦に参加。小町さんは4月9日のトリンコマリ攻撃で、イギリス空軍のホーカー・ハリケーン戦闘機を相手に空戦、初めて敵機を撃墜する。
さらに5月7日、8日と日米機動部隊が激突した史上初の空母対空母の戦い、珊瑚海海戦にも参加。押し寄せる敵機から味方空母を守ろうと必死の戦いを繰り広げた。







