まして、病気なんかのときはとくに。相手の苦痛はそのまま自分の苦痛であって、看病するときの心労は計り知れないだろう。

 豊かな資産家だったら、医者や看護師にお任せすればよさそうだけれど、大切な人の命をだれかに任せたまま、安心することはできない。

 また病人のほうも、近くに家族がいなかったら心細くなってしまうので、たとえ治療上の効果がなくても、「情」の観点から、枕元にいなくてはならない。

 こういうわけで、夫が病気になると妻は家のことができなくなり、妻が病気になると夫は外出の用事ができなくなり、単調でつまらない日々を送ることが多くなる。

結婚は苦労が2倍になるが
楽しさも2倍になってくれる

 要するに、独身をやめて結婚するというのは、これまで1つであった苦労の種を2つにする行為であり、そろばん上では、割に合わないように思える。ただそのかわり、結婚後の楽しみは独身のさびしいときの倍以上となるから、差し引きすれば勘定に合う、というわけだ。

 それだけではない。1人の子供を持てば1人分の苦労が増えると同時に、喜びもまた増える。さらに、2人、3人とだんだん苦楽の種が多くなる結果、「半苦半楽」となって、最終的に人間としての活動領域を拡大できると言えるだろう。

 世間には、たまにこのあたりの道理を知らない人がいるようだ。結婚はただ単に快楽の根本だと思い、子を持つのは家の幸福だと期待する。そして、期待通りの展開にならなかったら、すぐに自身の義務から逃げようとし、横着な気持ちが重なって夫婦は不和となる。

 お互いが病気になったときの看護は手抜きになり、子供の養育は不行き届きになり、さらにひどいのになると主人が不品行となって、自分自身を汚し、家風を乱し、最終的にその禍を後世の子孫にまで遺す者もいる。

 こういうのはつまり、浮世の人間の営みに「苦楽交換」の法則があるのをわかっていなくて、「楽」の一方だけに心を奪われているのだ。俗に言う、「ぼろ儲けしようとしてぼろ損した」というやつである。