夫婦生活が続くには
互いの愛情と敬意が不可欠

 夫婦が一緒に暮らすとき、お互いに親愛の情がなければならないのは当然であり、とくに、はたから注意するようなことはない。

 ただ、「親愛」だけでなく「敬意」もなくてはならない。

 およそ人に敬意を払うやり方というのがいろいろある中で、伝えるべきことを伝えずに隠すことほど不敬なことない。夫婦はすでに同じ家族で、一心同体だ。ともに家を維持する責任を負いながら、片方がなにかを秘密にして隠しているようでは、もう片方は不愉快にならないわけがない。

 つらつらと世間の様子を見ていると、こんなことがある。

 女性は家の中を管理し、男性は家の外で働いていて、一家の主人があちこち走り回ってこつこつ苦労しながら、なんとか家の生計を立てている。

 しかし、家にいる主婦はそのお金がどこから来たのかを知らず、どうやって得られたのかも知らず、実際のところ、はたしてわが家は富裕なのか、貧乏なのかを知らない。去年と今年とを比較して、家の財産の増減やその傾向も知らない。

 ときには、引っ越しした新居でいい暮らしができるようになることもあれば、反対に、前の家よりさえない生活になることもある。ほかにも、家族で遠くに移住して、すぐまた別の場所に行ったり、また元の土地に返ってきたり。変化が激しすぎるようだけれど、そのときそのとき、一通りの理由を聞くだけで、そこに込められた深い事情を知らない。

 ただ主人から受け取ったお金で、いま現在の家計をやりくりするだけであって、ただぼんやりと日月を過ごしている。名目上は家の主婦であるけれど、その実態は下宿人みたいなものである。

 幸いにも、その婦人がおおらかな性格であって、下宿のような境遇の中で、安らかに悠々と日々を送れるなら、ただ家の営みが不行き届きになって、お金を損するだけで済む。

 ところが、反対に神経過敏で心配性だったらどうか。朝夕に夫の挙動を観察して疑惑を深め、だからといってじかに聞くこともできないので、黙ってひとり悩んでいる。おいしい食事でも、心が不安定のまま食べればおいしくない。