暖かい着物も、不安な気持ちでは着ても暖かくない。鬱々として、最後には病的な感じになり、発狂したりする者もいる。世間では常によくあることだ。

情報共有する姿勢が
敬意を示すことにつながる

 たとえ、夫が生きているうちは無事に済んだとしても、死んだあとがかわいそうだ。夫がさまざまにやり散らしてきた家の生活のあれこれについて、未亡人はなにもわからない。

 書類や帳簿を見て理解できるわけもなく、結果として、親類や友人への相談や確認作業となる。生前には重要問題としてまったく他人に語らず、最も親密な妻にも語らなかったその秘密が、今になって公然にさらされ、チェックされる。

『福翁百話』書影『福翁百話』(福沢諭吉著、奥野宣之訳、致知出版社)

 ときには、噂となって世間の耳目に触れたり、まったく関係のない遠くの人がこれを聞いて、茶飲み話のネタにすることもあるだろう。みっともないことこの上ないと言える。

 こういうのは結局のところ、主人である者が同等である妻に対して敬意を払わず、彼女を蔑視して、「夫婦共有の家の営み」を語っていない、という罪なのだ。

 とは言うものの、また別の見方から言えば、家の外での仕事はあまり婦人が関係することではない。またその婦人の頭の良さや才能の有無といったこともあるから、私は、必ずしも「夫妻でなんでも情報共有しておけ」と言いたいわけではない。

 ただ、ものごとの成り行きを親切に語って聞かせ、ときどきは「今どうなっているのか」という状況を知らせておく必要性を説いているだけだ。

 どんなに才能がなく、ものわかりが悪い女性でも、こんこんと語れば、家の営みの全体像を理解できない者はいないだろう。男性にとって深く注意すべき点である。

※本記事には、今日の社会通念に照らして不適切と思われる言葉がありますが、歴史性、当時の時代背景を鑑み、底本のままとしました。