「出席日数が足りないなら、なぜもっと早く言ってくれなかったんですか!」

 自分が悪いのに私は逆ギレ。担任の先生に食ってかかりました。こんなんだからヤンキーと言われちゃうのかもしれません。なぜか母も先生に逆ギレ状態でした。

4年間の高校生活を経て
就職先に選んだのは?

 翌4月からは、1歳下の新入生たちと1年生から高校生活が再度始まりました。年下の同級生たちは最初、怖いヤンキーお姉さんが留年してきたと怯えていたようでしたが、すぐに打ち解けられました。

 高校生での1年間の差というのは肉体的にも精神的にも大きいもので、私は姉御的な存在だった気がします。上の階には最初、同い年の子たちがいてかなり恥ずかしかった面もあるのですが、その3年間で醸成された姉御肌気質が、今も英語学校で発揮されているのかもしれません。

 そうして高校卒業後、運輸会社に就職しました。父がトラック運転手だったこともあって、その道を選んだのです。

 トラック運転手という仕事の大変さを知っている父は、大反対。いま思えば心配してくれていたのですが、当時は「私のやりたいことを邪魔してる」としか思えず、とにかくうざかったのです。

「女の子がする仕事ではない」

「事故を起こしたら大変だ」

「ケガをしたらどうする」

「ドライバーではなくて事務の仕事をしなさい」

 それでも私は、父に隠れてドライバーの仕事を探します。

 思い込んだら突っ走る。失敗したってやり直せばいい。これは私の人生における指針かもしれません。

 当時、女性ドライバーなんて珍しく10社以上から断られました。でも、1ミリも諦めませんでした。そのうち1社から内定をいただき、大反対の父を押し切って就職。

 やっと見つけた会社です。睡眠時間を削って必死に働き、稼ぎまくりました。仕事は順調でした。かなりきつい仕事ではありましたが、私には合っていたようです。

 力仕事を手伝ってくれるなど、周りの人たちもとってもよく助けてくれました。順風満帆、仕事上の目標もやり遂げていきました。