いつも別の誰かさんが称賛されていたのです。

 そのたびに「自分は勉強ができないんだな」と思うようになっていきます。

高校時代はある目的のため
バイトに明け暮れる日々

 中学は地元の公立校に通いました。成績は中の下ぐらいだったでしょうか。「どうせ勉強はできない」と思っていたし、いわゆる「いい学校に行く」ことや「勉強する」ことを重要だと思っていなかったので、成績が悪くても気になりませんでした。

 そんなわけで高校への進学も筆記試験一発で受かる自信はなく、推薦で行ける学校を目指します。内申点を稼ぐ、ただその目的のためだけに、運動神経が鈍くて誰よりもへたくそなのに立候補してバレー部の部長になったりもしました。

 そうして推薦で公立高校に合格。万々歳!しかし、はなから勉強するつもりなんてないので、成績がいいわけがありません。当時、父は運輸会社に勤めていてトラックの運転手をしていました。私には、大きなトラックを自在に操る父の運転手姿が本当にカッコよくて、エンジンとタイヤがついているものを操ることに心底憧れるようになりました。そのころの定期テストでの英語の点数は、10点とか20点とか。選択式の問題でたまたま正解があれば取れるくらいのものでした。

 高校時代は車が好きすぎて、16歳から免許が取れる原付バイクに乗りながら「18歳になったらすぐに免許を取って車を買って乗りまくろう!」とピザ宅配のバイトにのめり込む毎日です。休日も走りまくりの稼ぎまくり。

 さらにギリギリの日数まで学校はサボって、バイトをしていました。

「車欲しい!自動車免許取りたい!」

 それしか頭になかったんです。

 しかし、「いつか、あのドラマのように、スマートな女性になりたい。カッコよく英語を話してみたい」となぜか思い続けていたのです。

 そして忘れもしない高校1年生の3学期。「もうすぐ2年生だな」というある日、担任の先生に母親と一緒に呼び出されました。

 そこで、な、なんと留年を宣告されたのです。

 ギリギリ足りていたと思っていた出席日数が、実はかなり足りていないとのこと。「そんなはずは」と思ったのですが実際の数字を見ると確かに「おまけして」と言えるレベルではなく、絶望的でした。