法律上では日本は売春が違法だが、性を買うことに抜け道がある。この状況をどこまで整理した上で買春規制が行われるのかが注目点だが、拙速に進められた場合、建前だけで終わる可能性もある。
買う側を規制することにより、困窮状態から売春の状況にある人が、より窮することにならないか。あるいは、抜け道だらけの買春規制とならないか。懸念点は挙げればキリがない。
「援助交際」から「パパ活」に
行為より軽い言葉の使われ方
ただ、これまで透明化されてきた買う側に焦点が当たることには、一定の意味があるのだろう。
90年代は「援助交際」という言葉があり、現代では「パパ活」と言われる。かつてはブランド物を買うために女子高生が援助交際をしているとまことしやかにマスコミが喧伝したし、現代で「パパ活」は賢いアルバイトかのように、身近な軽いフレーズとして使われている。
そしてマスコミはいつの時代も売る側の女性について面白おかしく取り上げてきたという実態もある。
買う側の意識は「男の本能だから」といった簡単な説明で片づけられ、それ以上掘り下げられることも、興味関心が向けられることもなかった。男女の賃金格差がその背景にあることも顧みられない。
「性を買う」とはどのような行為を指し、どのような意味があり、なぜそれが禁じられるべきなのか。このような議論がまったくといっていいほどなされてこなかったことは、「(売春防止法の中にある「尊厳」について)誰の尊厳が害されるのか」と質問された平口洋法務相がしどろもどろになり「双方」「性を買う側の方の尊厳も害される」などと答えたことからも明らかだ(11月26日の衆院法務委員会)。
これまで長らくの間、棚上げされてきた「買う側の責任」について、本格的な議論が始まることになるのか。注視したい。







