「これはもう、事件だ」異臭を放つ部屋にポツンと女性…警察に通報したら父親が怒り狂ったワケ【史上最悪のクリスマス】『「子供を殺してください」という親たち』原作:押川剛 漫画:鈴木マサカズ/新潮社

さまざまなメディアで取り上げられた押川剛の衝撃のノンフィクションを鬼才・鈴木マサカズの力で完全漫画化!コミックバンチKai(新潮社)で連載されている『「子供を殺してください」という親たち』(原作/押川剛、作画/鈴木マサカズ)のケース9「史上最悪のメリークリスマス(4)」から、押川氏が漫画に描けなかった登場人物たちのエピソードを紹介する。(株式会社トキワ精神保健事務所所長 押川 剛)

クリスマスイブに警察に通報され怒り狂う父親

 心を病んでしまったという黒澤美佐子(37歳・仮名)をマンションから連れ出し、病院へ連れて行ってほしいという依頼を、美佐子の父親から受けた。

 自宅に強制的に突入すると、汚物をくるんだティッシュが山積していて、奥に髪の毛が大きくふくらみ固くなった美佐子が座っていた。その光景は私を武者震いさせるに十分であったが、視線の先にふと、ドアの閉まった部屋があるのが目に入った。

 ドアを開けるとそこは、一面ピンクのティッシュの世界だった。これまでの部屋とは異なり、汚物の類も見当たらない。ただ、乾いたピンクのティッシュが部屋中に、幾重にも重なって堆積している。

 ティッシュの隙間からベッドやハートのクッション、クマのぬいぐるみなどが顔をのぞかせている。ここは彼女の寝室なのだろうと推察できた。

 本人も自宅も汚物まみれだったが、寝室だけがひっそりと静まりかえっている。それでいて大量のピンク色のティッシュが、異質な存在感を放っていた。彼女にはかつて交際相手がいたと聞くから、寝室でともに過ごしたこともあるのかもしれない。

 異臭騒ぎを聞きつけ、すでに大勢の住民がマンションを取り囲んでいた。

 私は「これはもう、事件だ」と思った。美佐子にしても、精神疾患だけでなくほかの身体的な病を患っている可能性もある。ただの移送ではなく、消防や救急の力も借りて搬送すべきと考え、110番・119番通報を行った。

 現場は警察官に引き継がれ、私は移送業務を中断した。父親は烈火のごとく怒り狂っていたが、この状況から美佐子をただ病院に連れて行くということは、とてもできなかった。

 この依頼のXデー(移送日)は12月24日。クリスマスイブであった。

 美佐子の父親は、孤独に生きる娘を、ただ「もの」のように病院へ運べと私に命令した。金は払うのだから、言うことを聞け、と。しかし私にとって、彼女の移送だけを遂行することは犯罪に等しい行為に感じられた。

 現実に父親は、私に対して事実を伝えず、現場に来た警察官や救急隊員、消防隊員を追い返そうとした。これはまさに、罪を犯した人間が、事実をめくられないように必死に隠すのと似た行為ではないか。

 今回のケースでは、異臭などで近隣住民も甚大な被害を被った。マンガにも登場するように、階下の住人に声をかけられたのも、忘れられない記憶だ。その住人の部屋では、美佐子の部屋から浸透した汚物が壁全体に匂いのあるシミを作っていたのである。

 美佐子を移送できなかった上に警察に通報され激怒した父親に、私は債務不履行の名目で損害賠償請求されそうになった。

 父親は「依頼した=金を払う」という一点のみで、すべてが思うとおりに動くと思っていた。もっと言えば、美佐子をマンションから移送させ、存在をなくすることで、周囲への迷惑行為の責任すら回避できると思っていたのだろう。

 ただ、このような加害行為にも等しい振る舞いには、必ず誰かの犠牲が伴う。この家族においては、一番の犠牲者は美佐子だ。

 なかには、「金をもらう以上、頼まれたことだけやっておけばいいじゃないか」と思う人もいるかもしれない。しかし単なる移送に留まらず当事者たちを救うことが、「精神障害者移送サービス」の仕事の生命線だ。

 当事者の命を守る、命を救う。私が父親の言いなりになって美佐子を周囲からひた隠しにしたまま医療につなげていたら、彼女を死へと向かわせることになっただろう。

 結局この仕事は、人の命と尊厳、その究極のところに携わる仕事なのだ。


 現代社会の裏側に潜む家族と社会の闇をえぐり、その先に光を当てる。マンガの続きは「ニュースな漫画」でチェック!

『「子供を殺してください」という親たち』原作:押川剛 漫画:鈴木マサカズ/新潮社『「子供を殺してください」という親たち』原作:押川剛 漫画:鈴木マサカズ/新潮社
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