Photo by Shogo Murakami 衣装協力=イザイア/ISAIA Napoli 東京ミッドタウン メイク協力=ラ・メール スタイリスト=川田真梨子 ヘアメイク=林摩規子
幸四郎 私が最初にしたことは、叔父が演じた映像作品を、もう一度、とにかく全部見直すことでした。ある意味、それは自分自身にもっとも高いハードルを課し、自分を縛り付ける行為だったかもしれません。
でも、叔父の「鬼平犯科帳」があったからこそ、この時代にまた新しい「鬼平犯科帳」を創ろうという企画が生まれた。その偉大な歴史を真正面から受け止め、そこを通過することから始めよう、と。
そして見ていく中で改めて感じたのは、「やっぱり、叔父の『鬼平』は面白い。そして、ものすごく素敵だ」という純粋な感動でした。祖父である初代・松本白鸚や丹波哲郎さんや萬屋錦之介さんが主演を務められた「鬼平犯科帳」もまた、それぞれに素晴らしく、面白い。この気持ちが、私の役作りの根幹にあります。
もし、過去の名演技をただ「真似る」ことに終始すれば、それは表層的な模倣に過ぎません。一方で、「違うことをしよう」と意識しすぎると、今度は本質から意図的に距離をとり、「避ける」ことになってしまう。どちらも違うのです。
そうではなく、この作品そのものに対する純粋な感動や尊敬をエネルギーに変え、内面から湧き上がるモチベーションをもとに役に向き合う。これが、私にとってもっとも自然で素直なアプローチです。プレッシャーを感じるのではなく、その偉大さを「面白い」と感じる力、それを原動力にしていく。そう考えています。
ブランドイメージを継承しつつ
オリジナリティーを出すには
――プレッシャーを感じるのではなく、「面白い」と感じ、肯定的に受け止めることで乗り越えるのですね。その上で、ご自身のオリジナリティーを出していく。具体的な例として、今回の平蔵は有名な台詞「火付盗賊改方、長谷川平蔵である」の「である」という語尾を使わず、「長谷川平蔵。」と言い切ります。これは、ブランドイメージを継承しつつも、新しいリーダーシップの形を意図的に示されたように感じました。
幸四郎 そうですね。その「である」を使うか使わないか、というのは、今回の「鬼平犯科帳」、そして長谷川平蔵像を創る上で非常に重要なポイントでした。私がまず立ち返ったのは、「なぜ、この男は“鬼の平蔵”と呼ばれるに至ったのか」という原点でした。







