
日々の業務がルーティン化し、「仕事がつまらない」と感じることはないだろうか。目の前のタスクに集中できず、成果が出ない。そんな悪循環に陥ったとき、歌舞伎俳優・松本幸四郎の仕事術が突破口になるかもしれない。時代劇「鬼平犯科帳」の新シリーズでは主人公・長谷川平蔵役を務める。仕事の本質的な面白さを見いだし、最高のパフォーマンスを発揮するための、プロフェッショナルな方法とは?(歌舞伎俳優 松本幸四郎、取材・構成/小倉健一)
松本幸四郎がしている、
仕事のスイッチを入れる儀式とは?
――本日はお忙しい中、ありがとうございます。多くのビジネスパーソンが、日々の業務に追われる中で集中力の維持に苦労しています。「仕事がつまらない」と感じる一因に、目の前のタスクに没頭しきれないという問題があります。幸四郎さんは、俳優として一つの役に深く没入するために、どのような工夫をされていますか。
松本幸四郎(以下、幸四郎):役によっては、演じる上で「香水」を使うことがあります。普段、日常生活で香水はつけないのですが、特定の役を演じる際には、その人物がまとうであろう香りを自分自身にまとわせるのです。
舞台で香りをつけたとしても、お客様に届くのは花道を通る一瞬ほどであり、非常に微かなものです。それでも香りをまとわせることで、自分の気持ちを役へと深く集中させていくことができます。
――それは興味深いですね。プレゼンテーションや重要な商談の前に、特定のネクタイを締めたり、お気に入りのペンを使ったりと、自分なりの「儀式」を持つビジネスリーダーもいます。幸四郎さんにとって、香りをまとうという行為は、観客に何かを伝えるためというより、ご自身の内面を整え、集中力を高めるための心理的なスイッチのようなものでしょうか。
幸四郎:まさに、おっしゃる通りです。いわば、これから始まる演技へのスイッチを入れるための、一つの大切な儀式のようなものかもしれません。「鬼平犯科帳」の私の役で言えば、それに当たるのがたばこの煙です。
長谷川平蔵はヘビースモーカーだったとされており、劇中でも煙管(きせる)を吸う場面が多くあります。これも単に吸っているだけではなく、その煙の匂いが彼という人間を象徴する一つの要素になると感じています。
昔は手作りの刻みたばこですから、そんなに種類は多くなかったと思いますが、毎回吸うたびに微妙に味が異なるはずです。いつ吸っても同じ味にはならないのなら、もしかしたら平蔵が好んでいた味があったかもしれない。
だったら珍しい香りのものはないかなと、小道具の担当者さんにさまざまな種類のたばこを探してもらって、研究しました。そうしたせりふにはならない部分へのこだわりが、キャラクターに深みを与えてくれると考えています。
映像では画面越しのお客様には直接伝わりません。しかし、この役はこういう香りをまとう人物なんだろうとか、こういう香りが好きな人物ではないかと考えてつけることによって、その役にもっと近づけるんです。
そしてすぐそばにいる共演者にも届いている。それが言葉を超えた緊張感や空気感を生み出し、台本上のやりとりだけではない、生きた関係性を構築する助けになる。こうした細部へのこだわりこそが、作品全体のリアリティーを支え、人物に血を通わせるために不可欠なのだと思います。