そのため、箱根芦ノ湖側に函嶺さくら橋、小田原側に函嶺もみじ橋が掛けられ、迂回して国道1号線につながる新ルートが生まれた。このさくら橋を渡ると、徐々に傾斜がきつくなっていく。選手はここから戦闘モードに入っていく感じだろうか。

 塔ノ沢を越えていくと、「昔、蛙が村民の悪い病気を治してくれた」という「蛙の滝」や、少し坂がなだらかになるポイントがある。そこで一呼吸つくことができるが、選手はおそらくこういう場所でリズムを整えるのだろう。

 さらに坂を上り、HAKONEの文字の花壇があるヘアピンカーブ手前で、選手は最初の給水ポイントに到達する。

 背中が後ろに引っ張られるような猛烈な傾斜のカーブを越えて坂を上がると、箱根登山電車の大平台駅が見えてくる。ここは、折り返して後退し、別の線に入って前進するスイッチバック駅になっている。つまり、それだけ坂が急勾配ということだ。

 ここから宮ノ下まで約2キロメートル、急坂をひたすら上る。宮ノ下に入り、にぎやかな通りを行く。ここは1878年(明治11年)に創業した富士屋ホテルなど、明治から昭和初期の建物が多く、レトロな景観から「セピア通り」と名付けられている。

坂の終わりがまったく
見えてこない勝負の4.5キロ

 この道をまっすぐ行くと138号線に入り、仙石原に向かうが、5区のコースは信号を左に折れて直線の上りに入る。1891年(明治24年)創業の渡邊ベーカリーを越えて上っていくと、「関東大学駅伝競走第35回記念」と書かれた追悼碑がある。

 案内板には「昭和31年12月11日、大学駅伝の練習中に当所で交通事故のために亡くなった専修大学の小山国夫選手を悼んで建てられたものです」と書かれている。

 この場所は、道幅が非常に狭い。そもそも箱根路は歩道がない所も多い。ここを走っていると、バスから「ご注意ください」という声が聞こえてきた。

 小山大介選手は下りの最中に事故に見舞われたが、こうした経緯もあり、安全面を考慮して関東学連は箱根での試走を禁止している。