シリーズ世界累計1800万部の『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の著者、岸見一郎氏が、刊行12年を期して公開された公式動画で「いま、ここを生きる」というアドラーの思想について語った。他者からの評価や自分が望む理想像にとらわれ、人生を先送りしてしまう私たちは、どうすれば「ありのままの自分」を受け入れた生き方ができるのか。本記事では公式動画の一部をダイジェストでご紹介する。
アドラーが語りきれなかった「人生を豊かに生きるヒント」
岸見一郎: 「アドラーが語っていないこと」は、『嫌われる勇気』の中には一箇所もありません。ただ、アドラーが十分に語りきれていないことへの言及はいくつかあります。その一つが「ザッハリッヒ(sachlich)」という言葉についてです。この言葉で彼は「いま、ここを生きる」という生き方を主張したかったはずなのですが、十分には論じきれていないという印象があります。
簡単に言うと、ザッハリッヒとは「地に足がついた」「即事的」(事実や現実に即した)といった意味です。アドラーは、我々が「即事的」に生きられていないと言うんですね。過去のことを思って後悔し、未来のことを思って不安になる。ですが、過去のことを悔やんでも昔に戻ることはできないし、未来に対して不安になってもなにも解決しません。
そうであれば、「いま、ここ」を生きるしかないのです。いまを一生懸命に生きれば、次の一歩を踏み出すことができる。

私たちが「いま、ここ」を生きられない三つの理由
「いま、ここ」を生きられない理由は、三つあります。
一つめは、「人からどう思われるか」を気にしているからです。人からどう思われるかを気にしている人は、人に合わせて生きてしまう。実際に自分が送りたい人生ではなく、人によく思われるために生きるようになる。
日常生活の中でもそういうことはありますよね。「上司にこんなことを言ったらどう思われるだろうか」、あるいは「同僚たちはどう思うだろうか」と考えると、たとえ職場に不満があっても言えなくなってしまう。
そういう人たちは、人からどう見られるかばかりを気にして、本当の自分の人生を生きていない。その意味で「即事的に生きていない」とアドラーは言っています。
二つめは、理想の自分あるいは他者を見てしまうためです。特に自分自身について、「かくあるべき自分」を見てしまう。でも、現実に我々が生きられるのは、「ありのままの自分」でしかありません。それなのに「こうあるべきだ」という理想を高く掲げすぎて、地に足がついた生き方ができない。
「ありのままの自分」しかいない以上、「この私」から始めていくこと、「ありのままの自分を受け入れる」ことが大事なのです。
「ありのままの自分を受け入れる」と言うと、多くの人から「それではダメではないか」と言われることが多いです。けれど、そこから始めるしかないのです。たとえば、2階の部屋に行くときに、梯子もかけずジャンプして登ろうとしてもほとんど不可能です。一歩一歩、梯子の段を上がっていくように着実な努力をすることが必要です。
到底できもしないことをやろうとすると、現実から遊離した人生を送ることになります。アドラーはそういう生き方をしてはいけないと言うのです。
「いま、ここ」を生きられない三つめの理由は、「いまはまだ本当の人生を生きられていない」と思うからです。「いまは“仮の人生”だ」と思っている人が多い。ですが「なにかが実現すれば本当の人生が始まる」と考える生き方は、ザッハリッヒに生きられていないのです。
「なにか」が実現するかどうかは、いまの時点ではわかりません。成功するかどうかももちろんわからない。それなのに、先のことばかり考えてしまう人があまりにも多い。
たとえば、若い人が成功を目指して子どもの頃から勉強に励みます。小学生のときは中学生になったときのことを考える。中学校に入学したら、今度は高校受験のことを考える。高校に入ったら大学のことを考える。そうやって、人生を言わば先送りして生きてしまっていることが多い。
ですが、アドラーはそのような生き方は、ザッハリッヒつまり即事的な生き方ではないと考えます。即事的な生き方とは、「いま、ここを生きる」ということ。そういう人生のあり方を、彼は提唱しているのです。
他者の評価に生き方を明け渡していないか?
承認欲求をいまもこれからも求め続けてしまい、「それは仕方がないことだ」「人間としての本性だ」と思ってしまうところにこそ問題があると思います。「人間の価値」は、他者からの評価にはまったく依存しないことをはっきりと知らなければなりません。
ドイツの詩人であるリルケが、詩を書くときに「私は書かざるを得ないかどうかだけを考える」と言っています。でも私たちは、自分の内発的な動機で「詩を書かないわけにはいかない」と思って詩を書いたりはしないでしょう。必ず評価を求めてしまう。「この詩を書いたら売れるだろうか」とかですね。
若い詩人が自分の詩を評価してほしいと手紙をよこしたとき、リルケは「こんなことは今後いっさいやめなさい」と伝えました。「夜中に、自分は詩を書かざるを得ないのか、書かずにはいられないのかを問いなさい。その問いに『はい』という答えが出せるのなら詩を書きなさい」と言っている。
そのような仕事をしなければいけないし、生き方についてもそうだと思います。他者から認められるかどうかとか、まして売れるかどうかとか、成功するかどうかなどとは関係なしに、本当に自分がしたいことをしているかを考える。それが「ありのままの自分」として生きるということ。
そこまで厳しく自分を見直さないといけないのです。我々はあまりにも生産性に価値を置きすぎてしまい、なにかを成し遂げることでしか自分の価値を認められなくなってしまっている。
たとえば小さな子どもがなにも成し遂げていなくても、私たちはその子どもの存在自体に喜びを感じられるはずです。それを大人である我々に当てはめて考えてもよいと思うのです。
なにも仕事をしていなくても、なにも達成できていなくても、生きていること自体に価値があると考える。これは、それほど突拍子もない考えではないと思っています。
(本記事は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の公式動画をもとに作成しました)





