「人生を一変させる劇薬」とも言われるアドラー心理学を分かりやすく解説し、ついに国内300万部を突破した『嫌われる勇気』。「目的論」「課題の分離」「トラウマの否定」「承認欲求の否定」などの教えは、多くの読者に衝撃を与え、対人関係や人生観に大きな影響を及ぼしています。
本連載では、『嫌われる勇気』の著者である岸見一郎氏と古賀史健氏が、読者の皆様から寄せられたさまざまな「人生の悩み」にアドラー心理学流に回答していきます。
今回は、アドラー心理学の重要な教え「人生の嘘」の真の意味と、それを避ける方法について。「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と喝破するアドラー心理学を踏まえ、岸見氏と古賀氏が熱く優しく回答します。

「人生の嘘」をつかないためには?Photo: Adobe Stock

「でも」「もし」から生まれる「人生の嘘」

【質問】『嫌われる勇気』のなかに「人生の嘘」という言葉が出てきます。これは、本来やるべき人生のタスクについていろいろな言い訳を重ねて、先送りしたりやらないでいたりすることを指していると思います。では、自分が「人生の嘘」をつかないようにするには、どうすればよいでしょうか?」(20代・女性)

岸見一郎:「人生の嘘」はドイツ語では「Lebenslüge」と言います。アドラーがこの言葉を使ったことはあまり知られていないのですが、『嫌われる勇気』のなかでは重要な言葉として出てきます。

 すでにご質問のなかに答えのヒントが書かれていますが、自分が言い訳をしているときに「人生の嘘」をついていることに、まずは気づいてほしいのです。

 具体的には、人生の嘘をつくとき人は「でも」と言ってしまいます。本来自分が解決すべき課題から逃げようとしていることは、その言葉で分かります。

 ですから、私はカウンセリングするとき、相手に「あなたが『でも』と言うたびに数えますよ」と伝えることがあります。誰もが最初のうちは口癖のように「でも」と言います。「先生の話は分かります。でも…」と。

 ですが、数回カウンセリングを重ね、「でも」を意識してもらううちに、徐々に変わってくるのです。ある男性が何回目かのカウンセリングのとき、「先生、お気づきかもしれませんが、今日僕はカウンセリングの間に一度も『でも』と言っていませんよ」とおっしゃった。その段階で一回言っているんですが(笑)。

 ともあれ、そこまで意識ができると、「でも」と言うことにためらいを覚えるようになります。人は、やるべき課題をやろうという気持ちと、やりたくないという気持ちが拮抗しているとき、「でも」と言った途端に「やらない」決心をします。まずは、そのことに気づくのが大事だと思います。

 次にお伝えしたいのは、可能性のなかに生きないで欲しいということです。これは、現実的に生きていないということで、「もし~~なら」というような言い方をすることになります。

 たとえば皆さんの勤務先で、社内公用語が突然英語になったとします。会社の方針として決まり、会議でも英語で話さなければいけなくなったとする。となれば、その会社で働き続けたい以上、英語の勉強をするしかありません。

 ここで、「もし」と言いたくなるのです。もし、私がもっと若くて記憶力があれば英語も身につくけれど、いまの年齢では難しいです、と。一方でできないと言いつつ、若ければできるという可能性のなかに生きているのです。

 しかし、できないならばできないという現実から始めて、英語を賢明に学ぶしかないのです。つまり、ありのままの自分から始める「勇気」を持つ。それができれは「人生の嘘」から脱却できるだろうと思います。

古賀史健:『嫌われる勇気』の完結編である『幸せになる勇気』の第1章に、アドラー心理学のカウンセリングでときに用いられる三角柱の説明が出てきます。三角柱の一つの側面には「悪いあの人」、二つ目の側面には「かわいそうなわたし」、最後の側面には「これからどうするか」と書いてあります。カウンセラーはこの三角柱を使って、相談者がいま何を語っているかを示すのです。

 カウンセリングを受けにくる人の話は、ほぼすべてが「かわいそうなわたし」か「悪いあの人」についてです。しかし、アドラーの重要な教えである「いま、ここを生きる」という観点から考えると、「かわいそうなわたし」は過去の話です。また「悪いあの人」もアドラーの「課題の分離」という観点からすれば他者の課題であって、自分でどうこうすることはできません。

 自分にできることは「これからどうするか」だけなのです。

「かわいそうなわたし」や「悪いあの人」を理由にして、自分がやるべきことから逃げていないかをよく省みてください。そのうえで「これからどうするか」を考える。まずはこれがご質問に対するアドラー心理学的な立場からの答えになります。

 もう一つ、僕はライターなのでその観点からもお答えします。たとえば背伸びをして書いた文章、微妙に嘘が混じった文章、誰かからパクった文章、そういうものを世に出すのはもちろん抵抗がありますよね。

 ちょっと後ろめたい気持ちがあるような、これはあの人に読んでほしくないと思うような文章には、必ず嘘が混じっています。

 ですから、やるべきことを先送りするかどうか悩んだときは、その理由を文章に書いてみてはいかがでしょう。そして、自分はこれを堂々と他者に読ませることができるだろうかと考える。もし、何らかのためらいを感じるようであれば、もしかすると自分は嘘をついているかもしれません。自分の「人生の嘘」に気づくためには、そんなアプローチも試してみるとよいと思います。