読者を信じ、真の理解を得てもらうために、原稿執筆にどれだけの手間をかけられるか? シリーズ世界累計1800万部突破の『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』は、「わかりやすさ」よりも「親切さ」を選んだ結果として生まれたベストセラーだった。
刊行12年を期して公開された公式動画で、著者の古賀史健氏が「親切さを突き詰めた原稿の意味」「要約できない構造の本づくり」「対話篇という形式を選んだ理由」など、アドラー心理学と読者をつなぐためのさまざまな工夫について語った。本記事ではその公式動画の一部をダイジェストでご紹介する。

「わかりやすさ」と「親切さ」は違う

古賀史健:僕は「これで絶対わかってくれるはずだ」と読者を信じながら原稿を書いています。『嫌われる勇気』のヒットを受けて、たくさんのアドラー関連本が出版されました。漫画や図を描いて説明した本や、コミカルに解説するような「わかりやすい本」がいっぱい出たんです。

 でも僕は「わかりやすさ」というのはちょっと眉唾だと思っています。わかりやすければいいというものではないし、わかりやすくするために削ぎ落としたものや、省略したものがたくさん出てくるからです。

『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』という本は、かなり親切につくっていますが、けっして「わかりやすい本」ではないと思います。「親切さ」というのは、いくらでも注ぎ込むことができます。「こう読んだら、ここでこの疑問が出てくるから、まずはこれに答えた上でこう書かないといけないな」など、親切の積み重ねをしていくんです。

 ですが、それと「わかりやすさ」は別です。世間で言われるわかりやすさというのは、最初におおきな結論を示して、それに見合った情報だけを添えていけば、なんとなくわかった気にさせられます。

『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』のある種厄介なところは、要約がしにくい本だという点です。要約を試みているサイトや個人ブログをいろいろと見ますが、なかなか要約することができない。それは一歩一歩、親切に、丁寧に論理の道を重ねていて、その文脈と分量で読まないと、なかなか理解できない本になっているからだと思います。

「わかりやすさ」と「親切さ」であれば、僕は「親切さ」のほうを選びたい。自分の執筆や論の立て方に特徴があるとすれば、それは「親切に書く」という点に尽きると思います。ただし、この作業は相当面倒くさいところではあるのですが(笑)。

古賀史健氏インタビュー

なぜ「対話篇」だったのか?

『嫌われる勇気』のもともとの執筆動機は、アドラー心理学というものがまったく日本では知られておらず、それを紹介する本をつくりたい、というものでした。普通につくれば、アドラーの足跡を追っていくとか、その思想を客観的に解説するとか、そういった入門書になると思います。

 でも、読者にとってアドラー心理学は初めて触れる思想です。だから、入門書ではあるけれど、思想の中核にまで迫ったものにしたかった。そのとき、たとえ外形的な部分でも、なにかを模倣したり今まである形で説明したりしたのでは、「フロイト入門」や「ユング入門」の三番煎じになってしまうかもしれない。そうではなく、まったく新しい、誰も読んだことがないようなスタイルで書かないといけないと考え、「対話篇」を選んだのです。

 本来の対話篇とは、登場する人物が簡単には納得せず、「じゃあこれはどうなんですか」「そこに矛盾はありませんか」と、どんどん突っ込んでいくことによって奥へ奥へと入り込んでいくものだと思います。難しかったのは、そういう厳しい質問者としての青年を設定できるかどうか、ですね。

 一方、哲人側は絶対にブレないことが大切です。青年の感情的で攻撃的な反論に対して、決してたじろがずブレない。もしもここで哲人が人間味を見せてしまうと個人と個人がぶつかる「小説」になってしまうんです。そうなると読者は離れていくと思います。だって、それだったら本物の小説家が書いた本物の小説を読みたいのが普通の心情ですから。

 ですから、小説とは一線を画して、哲人のキャラクターには人間味が一切なく、青年のほうだけが怒ったり、驚いたり、嘆いたりしている構造をつくりました。そうすることで、小説でもビジネス書でもない、まったく新しい読み物ができるんじゃないかと。

 そして、二人の対話の合間に語り手不明の「状況説明の文章」を入れています。「いま議論はここまで進んでいる」「青年はこう感じている」と説明する文章です。これは対話に疲れた読者がちょっと休憩する「ベンチ」のような役割を果たしています。その休憩所がないまま延々と二人の対話が続いていたら、みんなヘトヘトになって途中で投げ出したくなりますよね。頭の整理も追いつかなくなるでしょうし。

 アドラー心理学の考え方やアドラーの思想は、専門用語が少ないし、用語自体も簡単ではあるんですが、けっしてわかりやすいものではありません。『嫌われる勇気』も『幸せになる勇気』もそれほど簡単な本ではないと思うんです。それを最後まで止まることなく読んでもらうために、所々にベンチを置いて「ここで休憩してください」「ここで目と頭を休めてください」という工夫をしました。

奥深いアドラーの世界

 アドラー心理学を学びはじめたとき、彼が教育者だったこと、子どもの教育にとても熱心に取り組んでいたことについて、あまり腑に落ちなかったんです。しかし、アドラーに触れてから20年以上が経過して、自分自身も年を重ねていくうち、世の中を本当に変えたいと思ったら、まずは若い世代や子どもたちにメッセージを届けないといけないというアドラーの問題意識が、ようやく理解できてきた気がします。

 アドラー心理学について、まだまだ僕もわかりきっていないところがたくさんありますし、一生アドラーを追いかけることになるでしょう。読者の皆さんも『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』を読んで、「ここがわからない」とか「ここが納得できない」というところはあるはずです。今後は、そんな疑問を一緒に考えていく時間を過ごしていきたいと思っています。

(本記事は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の公式動画をもとに作成しました)