「人生を一変させる劇薬」とも言われるアドラー心理学を分かりやすく解説し、ついに国内300万部を突破した『嫌われる勇気』。「目的論」「課題の分離」「トラウマの否定」「承認欲求の否定」などの教えは、多くの読者に衝撃を与え、対人関係や人生観に大きな影響を及ぼしています。
本連載では、『嫌われる勇気』の著者である岸見一郎氏と古賀史健氏が、読者の皆様から寄せられたさまざまな「人生の悩み」にアドラー心理学流に回答していきます。
今回は、自分の仕事が「他者貢献」できているかについて悩む方からのご相談。「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と喝破するアドラー心理学を踏まえ、岸見氏と古賀氏が熱く優しく回答します。

仕事の本質は「他者貢献」Photo: Adobe Stock

大切なのは貢献感の「感」

【質問】アドラー心理学では仕事の本質は「他者貢献」だとされていますが、その点について質問です。私は廃棄物処理の仕事をしています。他者が見向きもせず、存在さえ意識しないものを処理する仕事では貢献感を持つのが難しいと感じています。何かを生み出す仕事ではないため、モチベーションも下がり続けています。私はどこに仕事の本質を見出せばよいでしょうか?(20代・男性)

古賀史健:仕事において自分が誰かの役に立っている、貢献していると自覚しやすい場面というのは、「ありがとう」と感謝されるときだと思います。以前、ある漫画家さんに子育てに関する取材をしたことがあるんですが、その方はお嬢さんに対して、人からありがとうと言ってもらえる仕事に就くよう薦めていたそうです。たとえば看護師さんや福祉関係のお仕事のような。直接目の前の人から感謝の言葉をもらえる仕事であれば、やりがいを持って続けられるから、というお話でした。

 それと比較すると、ご質問いただいた廃棄物処理という仕事は、たしかに人の目に触れることや、誰かからありがとうと直接言ってもらう機会は少ないかもしれません。むしろ誰もいない場所で黙々と処理の仕事に当たられているのだと思います。

 けれど、ここで注目してほしいのは、貢献感という言葉の「感」という部分です。アドラー心理学や『嫌われる勇気』が大切にしているのは「貢献“感”」。つまり、自分は貢献できていると自分自身が感じられるかどうかなのです。これは、実際に貢献することや、ありがとうと言ってもらうこととは異なります。

 現実問題としてその仕事が他者の役に立てているか、貢献できているか、それは一概に決められるものではないと思います。感謝してくれる人がいる一方、余計なことをされたと感じる人もいるかもしれません。

 けれど大切なのは、自分自身が役に立てたと思えるかどうか、貢献感の「感」を持てるかどうか、です。これには絶対の正解はなく、自らの意志でそう思えるかの問題です。その意志を、まさにアドラーは「勇気」と呼びました。貢献感を持てるか持てないかは、究極的に言うと「自分を信じる勇気」を持てるかどうかなのです。

 ご質問に戻れば、廃棄物処理をしていて感謝される機会が少ないとしても、この仕事は多くの人の役に立っているんだ、そう自分を信じる「勇気」を持っていただきたいと思います。僕も実際に役立っている素晴らしい仕事だと思います。

岸見一郎:私は家で料理をつくるのが好きなんです。かなり情熱を傾けて一生懸命つくるんですね。ですが、料理はつくったあとが大変です。お皿を洗わないといけませんし、生ゴミもちゃんと始末しないといけない。

 家族の誰かがその作業をやるわけですが、その人は不満を抱きがちです。他の家族は食事が終わると、片付けのことなどまったく考えもせず、ソファーに寝そべってテレビを観て笑っている。なぜ自分だけがこんなことをしなきゃいけないのかとブツブツ言いながら食器を洗う。そうすると、他の家族は絶対に手伝ってくれません。嫌だ、嫌だというオーラをまき散らしているからです。

 であれば、考え方を変えるしかありません。自分が食器を洗っていることが家族に貢献しているのだと。アドラーは、人は他者に貢献できていると感じられたときに、自分に価値があると思えると言っています。

 自分に価値があると思えたら、対人関係のなかに入っていく勇気が持てるでしょう。対人関係には煩わしい面もありますが、そのなかでこそ人は幸せになれるのです。

 つまり、幸せになるための勇気を、私は食器を洗うことで得られるんだ、こんな楽しいこと、こんなありがたいことを、なぜ他の家族はしないのか。私だけが本当に食器を洗っていいのかと、鼻歌まじりで楽しそうに食器を洗う。その様子を見た家族は、そんなに楽しいことなら自分も手伝おうかと言ってくれるかもしれないし、言ってくれないかもしれない。たぶん言ってくれないでしょうが(笑)。

 ですが、たとえ言ってくれないとしても、食器を洗うことで自分は家族に貢献できていると感じることが大切なのです。それさえ意識できれば、自分のやっていることを認めてほしい、感謝してほしいとは、それほど思わなくなると思います。

 自分の行為は、それだけで完結するのです。他者からの承認や感謝がなくても、行為そのもの、仕事そのものに価値や意味がある。質問者の方も、そのように考え方を変えてみてはいかがでしょうか。