「過去が人生を決める」とする原因論に、どうしても違和感があった――。日本中にアドラー心理学の考えを広め、シリーズ世界累計1800万部を突破した『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』。両書の著者である岸見一郎氏と古賀史健氏が、アドラー心理学の核心である「目的論」と出会い、人生の見え方がどう変わったかを刊行12年を期して公開された公式動画で語り合った。本記事ではその一部をダイジェストでご紹介する。
人生の見え方を変えた「目的論」
古賀史健(以下、古賀): 僕は1999年に、岸見先生が書かれた『アドラー心理学入門』という新書をたまたま池袋の書店で手に取ったんです。
そのときはアドラー心理学のことも岸見先生のことも存じ上げなくて、その書店に行くときは10冊20冊とまとめ買いをするんですが、そのなかになんとなく入れたという感じの一冊でした。
でも、そこで偶然購入した『アドラー心理学入門』を読んだときに、本当に世界の見え方が一変するような衝撃を受けました。一番の理由はなんだったかというと、「目的論」だったと思うのです。
フロイトをはじめとして、世の中で多く語られているのは「原因論」、つまり因果関係です。「過去にこういうことがあったから、いまのあなたはこうなっている」「過去はもう取り消すことができないのだから、まずはその過去と向き合おう」と。けれどそういった論法が、僕には納得できていなかったんです。
自分の過去は変えられません。であれば、過去になにか嫌なことがあったり不幸があったりした人は、もはや幸せになることはできないのか。そんな問題意識がずっとありました。
それに対してアドラーは、「いまあなたが仮に生きづらさを感じているとしたら、それにはなにか目的があって、その目的を叶えるために、わざと自分をその状況に追い込んでいるのだ」とするのです。この「目的論」に触れたとき、「これだったら納得できる」と感じました。
客観的な話として、フロイト的な考えが正しいのか、アドラー的な考えが正しいのかはわかりません。たぶん正解はないでしょう。でも、自分が納得できるのはアドラーのほうでした。
ここでの原因論と目的論は、「決定論」と「自由意志論」と考えるほうが当時の僕の理解に近かったと思います。運命や人生は環境や過去の出来事などによって決まっており、人間はそれに抗えないか弱い存在だというのが決定論だとすれば、自由意志論は「人間は自らの意志で選択し、その選択によって自らをつくっていくことができる」とするものです。アドラーの考え方は、自由意志論を後押ししてくれる哲学であり心理学だと思いました。
原因論、目的論という言葉で『嫌われる勇気』のなかでは説明していますが、僕が一番胸を打たれ、こちらに進みたいと思わされたのは、自由意志論としてのアドラー心理学だった気がします。
岸見一郎(以下、岸見): 私自身もアドラー心理学に初めて触れたとき、目的論は「こういう考え方があったか」と改めて気づかされた大きな理論の柱でした。
「改めて気づかされた」というのは、私はアドラー心理学を学ぶ前から古代ギリシア哲学を学んでいたのですが、アリストテレスやプラトンは、まさに目的論を説いているのです。ですので、昔ながらの目的論ですが、理論としてまったく知らなかったわけではありません。
ですが、過去のことにとらわれて苦しみ、生きづらく思っている人たちを救いうる理論として、臨床の現場に応用したというところに、「そうか、自分がこれまで学んできたのは哲学だけれど、アドラーのように考えることで、目の前の本当に困っている人、苦しんでいる人たちを助けることができるのだ」と感じました。
目的論に出会えたことは、私にとってまさに運命的でした。その考え方を広めたいと願っていましたが、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』が出版され、多くの読者に届いたことは本当にありがたいと思っています。

自由意志は重荷ではなく喜び
古賀: アドラーの「自由意志を尊重して、人間は自分の人生を選ぶことができる」という考え方は、後のサルトルなどが唱えた実存主義に近いものがあると感じます。ただ面白いのは、サルトルの場合、人間が自由意志でなんでも決定できることを悲観的に捉えるんですよね。「人間は自由という刑に処せられている」と。常に自分がなにかを選ばなければいけない、そしてその選んだ責任を自分で引き受けなければならない、その重みは刑罰に等しい、と話が展開していく。
一方、アドラーは自分で選べることをポジティブに捉えています。自由とはアドラーにとって希望であり喜びです。その先には実存主義的な自由の重荷が待っているかもしれませんが、まずは「自分は選べる存在なんだ」と前向きに捉える。
たとえば、自分の生まれつきの容姿がどうであれ関係ない、その先の人生は自ら選べるんだとして、自分の前にある選択肢や与えられた自由をまずは歓喜しよう。そんなふうに考える。なんというか、「生の喜び」に満ちあふれているんです。いま振り返ると、そういうアドラーの「生の肯定」が僕の心に刺さった理由だったのかなという気がします。
岸見: 自分で選べることを望まない人も実際は多いですね。「選べるのであれば選べばいい」とシンプルに私は思うんですが。
カウンセリングに来られる若い人たちと話すと、多くの方は私の話を聞いて「なるほど、そのように考えればいいんだ」とわかってはくれます。ですが、「できません」と言って、できない理由を山ほど挙げるのです。「選べるほうがいい」とは思うけれど、多くの人は「自分で選ぶことには責任が伴う」ことも他方で理解してしまうのです。
ですから、こんなに苦しい人生を生きているけれど、そのほうがむしろ望ましいとまで思っているように見える人が多い。原因論的な考えを展開する本を読んだとき「なるほど、いま自分が生きづらいのはこうした原因があったからだ」と納得して安心するんですね。
ですがアドラーの本、あるいは『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』は、それとは真っ向から反する説を唱えるので、読んだ人は衝撃を受けるのです。けれど、本を読み終わったとき、これまでの生きづらさの理由がどこにあるかがわかり、自分が望みさえすれば人生を自分で変えられるという希望を持って本を閉じることができます。
もちろん、本を読み終えたからといって、すぐになにもかもが解決するわけではないでしょう。ただ、この先の人生でもあまり良くないことが続くだろうと悲観的になるのではなく、なんとかやっていけそうだと希望を感じて読み終えられる。そこが著者の一人として、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』のとてもいいところだと思っています。多くの人に勧めたい理由の一つがそこにあります。
(本記事は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の公式動画をもとに作成しました)





