日本中にアドラー心理学を広め、世界累計1800万部を突破した『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』。その著者である岸見一郎氏と古賀史健氏が、刊行12年を期して公開された公式動画でアドラー心理学の重要キーワード「共同体感覚」について語り合った。アドラーの考える「共同体」とはなにか? 国家や会社、学校といった既存の組織とどう違うのか? 本記事では公式動画の一部をダイジェストでご紹介する。
会社や家族に属しただけでは「共同体感覚」は生まれない
岸見一郎(以下、岸見):まずはっきりしておきたいことは、アドラーの「共同体感覚」における「共同体」とは、現実の共同体あるいは既成の共同体ではないということです。その点は誤解されていることがあります。国家であったり、会社であったり、学校であったり、既成の共同体のなかに自分の所属感や居場所を求めるといった理解をする人があまりにも多い。
実はそうではありません。アドラーが言うのは「理想の共同体」なんですね。あるいは現実には存在していない共同体なので、既存の共同体に自分の居場所を求めることが共同体感覚だと理解する人がいたとしたら、それはおかしいと感じてほしい。ですから、会社に所属しているから自動的に忠誠を誓わされるとか、忠誠を誓うといったことは、共同体とはまったく関係のない考え方です。
「共同体感覚」には共同体という語が含まれているため、わかりにくいかもしれません。「ゲマインシャフトスゲフュール(Gemeinschaftsgefühl)」がドイツ語で共同体感覚を意味する言葉なんですが、もう一つアドラーは「ミットメンシュリヒカイト(Mitmenschlichkeit)」という言葉を使って共同体感覚を説明しています。これは簡単に言うと、「人と人が結びついていること」「人と人が仲間としてつながっていること」を意味します。
とはいえ、他者が自分の仲間であると感じるのは、かなり大変なことだと思います。周りの人は怖い人ばかりじゃないか、スキあらば陥れようとする人ばかりじゃないかと思っている人はかなり多いでしょう。
たしかに、人生の行く手を遮るような人がいくらでも現れるのが現実です。けれどアドラーは「他者は私を援助しようとしてくれる仲間なんだ」と思えることが大事であると強調しています。
アドラーが共同体感覚という思想の着想を得たのは、第一次世界大戦中に軍医として従軍していたときです。彼は戦場で人と人が殺し合う現実を見たときも、人には攻撃本能があるとは考えませんでした。人と人は敵なのだとは考えず、むしろそのような厳しい現実にあっても、人と人はつながっている、仲間であると考えたのです。
そこを出発点としなければ、つまり「人と人は仲間である。必要があれば助け合える存在だ」と理解していなければ、誰も他者に貢献しようとは思わないでしょう。他の人の役に立とうとか、他の人のためになることをしようとはしない。
ただし、そう思えるようになるには、かなりの努力が必要です。普通に生きていれば、嫌な人たちばかりが周りにいると思ってしまう。そうではなく、仲間だと思えるためには、意識的な努力がいるのです。
最初の話に戻れば、会社に所属したからといって、他者とのつながりが自動的に成立するわけではありません。嫌なことを言う同僚がいるかもしれないし、頭ごなしに叱りつける上司ばかりかもしれない。それでもこの人たちが自分の仲間だと思えるようになるにはどうしたらいいか。それを考えようというのがアドラーの共同体感覚の思想です。

「ここにいてもいいんだ」と思える瞬間の大切さ
古賀史健(以下、古賀):いま生きづらさを感じている人にとって、「自分はここにいてもいいんだ」という居場所を見つけられるか、その実感を持てるかどうかが、ものすごく大事だと思うんです。共同体感覚というのは、究極的にはその所属感が得られるかどうかではないかと。
アドラーは共同体感覚について「過去も現在も未来も含む」と、時空を超えたものとして語っています。これって一見すると意味不明なんですが、よく考えると当たり前のことなんです。
たとえば僕は、1999年に池袋の書店で岸見先生の『アドラー心理学入門』を手に取ったことで人生観が一変しました。でも、僕が『アドラー心理学入門』という本に手を伸ばしたその一点には、過去も未来もすべて含まれているんです。つまり、それまでさまざまな人生経験の中で人文系の本に興味を持ってきた自分がいたからこそ、あのとき『アドラー心理学入門』を手に取った。そしてそこで大きな衝撃を受けたからこそ、その10数年後に『嫌われる勇気』をつくる未来ができあがった。過去も未来も、すべてがあの一点に含まれているんですよね。
だから「この本を選んで本当によかった」と思うことができれば、それまでの過去もその後の未来も肯定せざるを得ない。そうした連続する刹那の一点が、共同体感覚の原点じゃないかなと思うんです。「これがあってよかった」とか、「いま自分はここにいてもいいんだ」と思えた瞬間に、地球が生まれてから46億年のすべてを肯定せざるを得なくなる。そういうものとして、アドラーは共同体感覚を唱えたんだろうと僕は理解しています。
これはニーチェの「永劫回帰」の思想にも近いかもしれません。ニーチェも、人生のなかで一瞬でも「ああよかった」と思える瞬間があれば、お前の人生はその一瞬のために存在するのだし、同じ人生を繰り返し生きても構わないような「いま」を生きろ、といった主張をします。永劫回帰の「この一瞬のために生きる」という考え方と、アドラーの共同体感覚は、かなり近いところがある気がします。
岸見:「いま私はここにいてはいけないんだ」と思いたい人は、周りに対して自分の生きづらさの原因を求めるでしょうし、時間的に言えば過去の自分の生き方、育ち方に問題があると思いたい、というか思わないといけないわけです。
古賀さんのお話は、それとは真逆の考え方ですよね。「いまここにいてよかったんだ」と思えるというのは、時間的な次元での共同体感覚の説明として非常に面白いなと思って伺いました。
挫かれた「勇気」を取り戻して人生を変えよう
古賀:僕は、20代後半にアドラー心理学に出会ったわけですが、当時なぜ衝撃を受けたかというと、やはりいろいろなことに悩んでいたからです。その悩みの一番の大元に関わるのが「勇気」だったと思います。
アドラーを読んで本当によくわかったのは、自分に足りないものについてです。当時はお金もありませんでしたし、知り合いも少なく仕事の実績もありませんでした。いい仕事がなかなかできないなど、いろいろな悩みや生きづらさがあったんです。でも、その大元には勇気の不足があったのだと思います。
「勇気を持って一歩を踏み出せば人生は変わる」という大きなメッセージを僕はアドラーから受け取ったように感じました。これは本当にいつの時代の、どんな人に対しても共通のメッセージだと思います。生きづらさや苦しさを感じている人に大切なのは、まずは勇気なんです。
誰もが勇気を持っていないはずはなく、単に挫かれているだけだと思います。その挫かれた勇気を自分のなかに取り戻し、それを握りしめて一歩を踏み出してみる。そうすれば世界の見え方は大きく変わっていきます。「勇気」の大切さを改めてお伝えしたいと思います。
岸見:アドラーは、直面すべき人生の課題を前にしたとき、できない口実をいろいろと持ち出すことを「人生の嘘」と言っています。我々はそのように、うまくいかない自分に嘘をつき続けて生きているのかもしれません。
ですが、立ち止まってこれまでとは違う生き方をしてみようと決心するだけでも、ずいぶん人生は変わってきます。大げさに聞こえるかもしれませんが、たしかにかなり変わるのです。
アドラー心理学に関する本を読み終わったとき、あるいはカウンセリングを受けた後には「なにか世の中が違って見えるな」という感覚を持てるはずです。「これまでは本当に生きづらいと思っていたけれど、なんとなく出口が見えてきた」と。そういう感覚を一度でも持てれば、生き方は必ず変わってくると思います。
たくさんの勇気まではいらないのです。少しだけ、これまでとは違う生き方をしてみようと勇気を出して決心することが大事なのです。
『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』のタイトルに含まれていることからわかるように、「勇気」というのはアドラー心理学の基本中の基本です。先ほど古賀さんが言われたとおり、多くの人はそれを持っていないのではなく、挫かれているんですよね。そのことに気づくだけでもずいぶん違うかもしれません。
勇気を挫かれたままこれからも生きるのか、挫かれてきた勇気を少しでも取り戻すのか。決心するだけでいろいろなことが変わってくると思います。
(本記事は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の公式動画をもとに作成しました)





