結果を出したい……。これは誰もが願うことでしょう。しかし、「目先の結果」を出すために、“小手先”の技術に走ってはならない。それよりも、「正攻法」に徹することで、しっかりと実力を養ったほうがいい。これを体現しているのが、オリンピック3連覇を成し遂げた、柔道家・野村忠宏さんです。この記事では、野村さんが学んだエピソードを紹介しながら、ビジネスにも通ずる「正攻法の重要性」についてお伝えいたします(この記事は、金沢景敏さんのご著書『超☆アスリート思考』を抜粋したものです)。

「負けてもいいから、正攻法で戦え!」…五輪3連覇の超一流アスリートを育てた父親の言葉が深い写真はイメージです Photo: Adobe Stock

「結果」を追求することには、“落とし穴”がある

 なんとしても「結果」を出す――。

 そのために、あらゆる可能性を探り、あらゆる努力を惜しまないのは美徳というべきことです。僕もこれまで、徹底的に「結果」を出すことにこだわって、日々の仕事にがむしゃらに向き合ってきました。

 ただし、ここに“落とし穴”があります。「結果」を求めるがあまり視野が狭くなり、気がつくと「目先の結果」ばかりを追いかけてしまうのです。

 問題なのは、「目先の結果」を得るために、「正攻法」から逸脱してしまうこと。その結果、いっときは「結果」が出せたとしても、本当の「実力」が育っていないために長続きしないという結末を招きかねないのです。

 その怖さを教えてくれたのが、柔道家の野村忠宏さんです。

 柔道一家に生まれた野村さんは、3歳から柔道を始めましたが、身体が小さかったため、ずっと勝てない時代を過ごしてきました。唯一の希望は、得意だった背負投げという技。この技を「武器」にまで磨き上げることによって、いつかは強くなるんだという一心で頑張り続けたのです。

 そして、柔道の名門校である天理高校に進学。同校では、相手としっかりと組み合って、立ち技で一本を取るという「正攻法」の柔道を理想としていました。ところが、高校男子の最軽量級が60kg以下級だったのに、当時の野村さんの体重は50kgあるかないか。その体格でまともに相手と組み合っても、勝ち目なし。どうしたって、体重負け、力負けしてしまうのです。

「今は勝てなくてもいいから、しっかりと基礎を磨け」

「なんとしても勝ちたい」

 そう思った野村さんは、高校2年のときに、自分の持ち味である「俊敏性」を生かした柔道をしようと決意。相手と真正面から組み合うと力負けしてしまうから、組み際や肩襟などの不十分な組み手で相手を揺さぶって、どんどん技に入っていく。そんな柔道スタイルを取り入れて、活路を見出そうとしたのです。

 ところが、この戦術が功を奏し、少しずつ「結果」が出始めたころ、天理高校の柔道部師範であるお父さまから、このような指導を受けました。

「今だけ勝ちたい選手でいいなら、そういう柔道をすればいい。もしお前が努力を続けて、その努力が実ったときに、本物の実力をもった息の長いチャンピオンでありたいんであれば、小手先の柔道はやめろ。今は勝てなくてもいいから、しっかり組み合う柔道をして、一本を取る技を磨きなさい」

 せっかくうまくいき始めていた柔道スタイルだっただけに、それを否定されてムカッとしたのも事実ですが、その反面、普段はアドバイスを控えていたお父さまが、あえて指導してくれたことが嬉しくて、「素直に受け入れてみよう」と思えたそうです。

 そして、しっかりと組み合う柔道スタイルに戻したのですが、そうしたらやっぱり勝てない。だけど、その悔しさに耐えながら、体格に勝る相手としっかり組み合う。そのなかで、小さな自分の体重を相手にどう乗せていくのか、相手の身体のバランスをどう崩すのか、相手との間合いをどのように取っていくのか、といった技術を磨き上げていきました。

 たとえば、野村さんの握力は40kg程度と一般人と変わらない水準ですが、柔道で組むときの「力」はずば抜けたものがありました。そうした「強さ」は、「組む柔道」を続けたからこそ鍛えられたのです。

 この努力が、数年後に花開きます。

 大学生になり、徐々に身体が出来上がってくると、正面から組み合っても力負けしなくなり、それまで磨き上げてきた背負投げが面白いように決まるようになりました。そして、みるみる頭角を現した野村さんは、大学4年のときにアトランタ五輪への出場権を獲得。筋骨隆々の外国人選手も次々に薙ぎ倒し、金メダルを勝ち取るのです。

「あのとき、道を誤るところだった」

 野村さんは、そうおっしゃいます。

 高校2年のときに、あのまま「目先の結果」「目先の勝利」を追い求めていたら、その後のキャリアは違った展開をしたはず。お父さまのアドバイスに従って、正攻法で技術を磨いたからこそ、ちょっとやそっとでは揺るがない「実力」が養われた。そして、オリンピックを3連覇して、40歳まで現役を続ける息の長い柔道家になれたとおっしゃるのです。