こういう企業文化はなるべく早く変え、上司としての意見をしっかりと持つべきだともウェルチは言っている。

「人にやってもらうことに慣れきったカルチャーを壊そうとすれば、悲痛なまでの抵抗の声を聞かされることになるだろう。目をかけていた部下が抵抗して辞めていくかもしれない。それでも、そのショックを受け止め、彼らを快く送り出そう」

「優しい」上司であろうとして
成果を出すことから逃げていないか?

 また、ウェルチはコミュニケーションの文化を何より重視した。

 コミュニケーションを通じてはじめて、社員一人ひとりが状況を冷静に捉え、自分のパフォーマンスが一定の水準に達しているか確認することができるのだと。

 これまで多くの企業が「切羽詰まった厳しいメッセージを伝えなければならないときに、これも人情というものだろうか、ついつい偽りの優しさやまちがった楽観主義でマイルドに伝えるという過ちを犯してきた」

 上司たちは「十分な成果をあげていない社員に対し、パフォーマンスの悪さを率直に指摘すべきところを変に遠慮して言わずにいる。そのうちイライラが募って結局クビにしてしまう」

 彼らは自分が「優しい」上司や「いい人」でいたいがために、部下たちに「彼らのありのままの姿、つまり、彼らは実は負け組」だとは言えないのだ。

 こうした事態に陥るのは、彼らに自分の意見がないか、持とうとしないからだ。議論は徹底的に戦うよりも避けてしまったほうがよほど楽だ。対立は時間も労力も要するし、リスクも伴う。議論をしたところで決着がつかないことも多い。

 欧米の機能的な階層型組織の会社では、この種の人たちは出世するのが難しい。対立を避け、何よりも調和を重んじる人にリーダーシップを発揮する役回りを委ねようと思えるだろうか?部下たちには好かれているかもしれないが、リスペクトされているかどうかはまた別の話だ。

 何よりも人から好かれたいと思っている人は、期待された成果を出せない部下に必要な対応を迫ったり、厳しい評価を下したりできるわけがない。