自分が死んだ後のことを心配して
終活する人の気が知れない
じゃあ、いい死を迎えるためにやっておくべきことは何かというと、結局のところ、特に何もする必要はありません。死ぬまで生きればいいだけです。
近年は「終活」なんてものがブームどころかもはや「当たり前のこと」になりつつありますが、正直、私にはあれをやる人の気が知れません。せっかくの現在の貴重な時間を死ぬ準備にせっせと励むなんて、死ぬために今を生きるようなものです。
しかも実際のところ、多くの人がやっている終活は、死んだあとに周りに迷惑をかけないようにというのが目的になっていて、自分というより、人のためにやっている面が強いのではないでしょうか。
そもそも整理整頓という時点で、私にとっては「死ぬほど面倒くさいこと」なので、仕方ないけどやるか、という気にはなれません。無理にやろうとすれば、ストレスが溜まりすぎて、寿命を縮めかねないとさえ思っています。
何せ本は1万7000冊以上はありますし、虫の標本は1000箱以上あって、しかもまだ標本に整理してない虫が山ほどいます。
カミさんは「あなたが死んだらこれをどうすればいいの?」なんて言ってますけど、まあ、誰かが適当に処分するでしょう。息子たちには売ってしまってもいいよと言っていますが、もしかしたら孫が気に入って引き継いでくれるかもしれませんしね。どっちにしても、私はもう死んでいますから、それはもう人ごとです。
終活をする時間があるなら
その分楽しいことをしたい
自分勝手だと言えば確かにそうなんですが、別にいいじゃないですか。死んだあとまで周りにいい顔しようなんてあまり考えないほうがいいですよ。多少散らかったまま死ぬくらいのことであれば、迷惑をかけるといってもたかが知れているでしょう。
自分の葬式のことを、死ぬ前からああでもないこうでもないとあれこれ考え、周りに指示しておく人もいるようですが、葬式のときには自分はもう死んでいて、所詮は人ごとなのですから、どのみち自分には関係ありません。
『老いと死の流儀』(池田清彦、扶桑社)
どうせ誰かが好き勝手に処理していくのですから心配しなくたって大丈夫なんですよ。
死んだあとのことをいくら考えたところで、自分がそれをやるわけではありません。だったら、まだ自分でコントロール可能な「生きている時間」のほうに力を注いだほうがよほど建設的です。
死ぬための準備に貴重な時間を使うより、今この瞬間を適当に楽しく過ごすこと。――それこそが、真の意味での「終活」、つまり「人生の終わりのためにする活動」なんだと思いますよ。







