情報があふれる時代に
「埋もれない」年賀状

 現代のビジネスパーソンは、朝起きてから寝るまで、途切れることなく情報にさらされています。メール、チャットツール、SNSのメッセージ、ニュースアプリの通知。新年の挨拶も同様で、1月1日の朝には、多くの人のスマートフォンに大量の「明けましておめでとうございます」が届きます。

 しかし、そのメッセージの多くは、一度画面を開いた瞬間に読み流され、そのまま履歴の中に沈んでしまいます。よほど印象的な内容でもない限り、「誰から来ていたか」「何が書かれていたか」まで、はっきり覚えている人は多くないでしょう。

 一方で、葉書で届く年賀状は、そもそも出会い方が違います。

 自宅やオフィスのポストから取り出し、束を手に持ち、一枚一枚裏返して差出人を確認しながら読む。そのあとも、机の上や棚の端、玄関の台など、生活空間のどこかにしばらく置かれることがほとんどです。

 人は、手で触れたもの、そして生活導線の中で繰り返し視界に入るものに、自然と意識を向ける傾向があります。

 心理学では、対象を繰り返し目にすることで好意的な感情が高まりやすくなる現象を「単純接触効果」と呼びます。ほとんど意味を持たない記号や文字であっても、繰り返し接すると好意度が上がることが示されています。

 年賀状は、まさにこの単純接触効果を自然に生み出します。ポストから取り出し、読むときに接するだけでなく、その後もしばらく視界の片隅に存在し続ける。はがきそのものが、送ってくれた相手を思い出す「手がかり」となり、好意や信頼感を静かに補強していくのです。

 メールやSNSのメッセージが「流れていく情報」だとすれば、年賀状は「そこに存在し続ける情報」です。デジタルの効率性が高まれば高まるほど、逆説的に「埋もれない」アナログの強さが際立っていきます。

 富裕層が年賀状を重んじる理由の一つは、まさにここにあります。

1、2分のひと手間が生む
決定的な違い

 年賀状がただの紙切れで終わるか、それとも強い印象として残るか。その分かれ目は、はがきの隅に、たった一行の手書きの言葉が添えられているかどうかにある、と私は感じています。

 執事として富裕層のお客様の年末をお手伝いしていると、年賀状の準備に関して次のような要望を受けることがよくあります。