こうした背景があってか、長澤まさみが行ったような取材の自粛要請については、一般人から肯定的な意見が多く聞かれるようになっている。

「有名税」はもはや過去のワード?
個人のプライバシー保護を尊重する方向に

 肯定的な意見はベースにまず理解を示す声があるが、理解するだけでなくさらにその先、マスコミを積極的に叩いている論調も少なくなく、中には結構熱くなってる人もいる。

 張り込み取材や突撃取材など受ける方は迷惑だったろうが、それらをひっくるめて許容すべきという意味合いの「有名税」なる考え方もかつてはよく聞かれたが、近年は個人のプライバシーを尊重する方向にシフトしてきてはいる。社会の道徳レベルが上がってきているのであろうか。

 だが一方、暴露系配信者や文春砲の人気は衰えることなく健在である。個人のプライバシーを脅かす取材はよくないとされるのに、個人のプライバシーを白日の下にさらすコンテンツが支持されるのはなぜか。このあたりのことに突っ込んでいきたい。

 まず暴露系配信者についてだが、これは配信者によって特徴があり様々である。「あったこと」を極力客観的につづるスタイルや、結構突っ込んで断罪するスタイルなどがある。

 断罪系は、配信者の主観が混ざる分忌避されもするが、「自分にできないこと・社会正義を執行してくれている」といった頼もしさを感じさせてくれる。人気絶頂期のガーシー氏なんかはそういうテイストと求心力があった。

 また配信者ごとに矜持も様々で、ひたすらリークを淡々と続けるマシーンのような人、「自分は暴露系だからカスです」と自称するも本当にカス扱いされると激怒する人などがいる。

 公共性を背負うメディアとは成り立ちが違うため覚悟、矜持も違うが、その「背負ってなさ」や「素人感=身近さ」がかえってウケていたりもする。

 文春砲は、巨悪を暴くような社会的意義を持つものや、個人のプライバシーを執拗に追ったゴシップ寄りのもの、両方がある。