まさか……という最期。なぜ気づけなかったのか。さまざまな後悔が押し寄せた。自らを責めた。

「ごめんなさい。私が死なせてしまったんです」。弔問に駆けつけた人たちに和美さんは頭を下げ続けた。

いつも一緒に演奏していたのに
夫のベースの音がない

 バンド活動をしていた夫とは、同じライブに出演して出会った。180センチの長身にコントラバスがよく似合った。

 演奏を聴いて、音にほれこんだ。ちょうどアルバムを作ろうとしていた時。引っ張り込んだ。

 曲のアレンジで悩むと、親身になって考えてくれる。何でも受け入れてくれる人だった。一緒にいたい。何げない会話をして暮らしたい――。

 アルバムの録音後、和美さんからプロポーズした。

 12年に結婚。彼は暮らしていた沖縄から広島に移り住んだ。

 得度し、和美さんの父親の跡を継いで17年に住職となった。おおらかで優しい夫であり、父さんだった。

 夫の死後、どれだけ泣いたことだろう。ステージで歌っていても、涙が止まらなくなる。

 いつも一緒に演奏していたのに、彼のベースの音がない。それでも、ステージでは今も自分の後ろの定位置にいてくれる気がする。

 一周忌のころ、気づいた。彼がなぜ、プロポーズを受け入れてくれたのか。自分に音楽を続けさせようとしてくれたのだと。音楽と僧侶の仕事が両立できるよう、味方になってくれたのだ。

 和美さんは子どものころから歌が好きで、高校大学とロックバンドを組んだ。大学院へ進み、その後東京で6年ほど音楽活動をした。そのかわり、帰って寺を継ぐという家族との約束を果たした。

 お寺の勤めをしながらも、やはり音楽を続けたい。その思いを夫はわかって応援してくれていた。きっと、今も。

 夫が亡くなってもうすぐ3年。悲しむ時間を十分にもてなかった。住職の仕事や家のことに追われてしまう。

 そんな中、音楽を奏でる時間は自分の心と向き合うことができる。ふだん胸に押しこめている思いがあふれ出す。自分が解き放たれていく。