音楽がいつまでもふたりをつないでいる。
25年1月19日、京都市内でライブに出演した。ある時は語りかけるように、ある時は天まで届けというように歌った。手をいっぱいに伸ばし、スイングして歌った。無邪気な笑顔で、涙を流して。
優しく切ないスポットライトの中に和美さんはいた。
全速力で病室に向かうも
夫はすでに旅立った後だった
37年間ともに過ごした藤田宜永さんが亡くなったのは2020年1月末。肺がんで余命宣告され、通院しながら、長野県軽井沢町の自宅で2年近く闘病生活を続けていた。
もう、長くない。そう感じた時に夫に触れた感触が今もよみがえる。
「やせて薄くなった背中に痛み止めの湿布をはってあげた時の感触、冷たい指先。足首から先はゾウの足のようにむくんでしまいました。記憶も途切れ途切れにしか残っていないような、最後の3週間でした」
入院を拒否していたが、どうしても家にいられなくなって病院へ行くことに。民間救急車を呼び、訪問看護のスタッフにも来てもらった。その時、夫は自力でベッドから起き上がろうとした。
「私は寝室の入り口で立ち尽くしていました。怖くて、彼のベッドのそばまで行くことができなかった」
その日入院することになり、小池真理子さんはパジャマをとりに家に帰った。「明日の朝早く来るからね」と。翌早朝、容体が急変した。
冬晴れの朝だった。
病院へ車で急いだ。あの朝に限って信号にひっかかった。病院の駐車場に車を止め、全速力で病室へ走った。ドアを開けると、主治医らがベッドのまわりに立っていた。夫は旅立ったところだった。20分ほど遅かった。
後悔は数え切れない。
「自宅で死にたいと言っていたのだから、何があっても自宅にいさせてあげればよかったとか、なぜあの日、私は病院に泊まらなかったんだろうとか。どうしてもっと優しくしてやれなかったんだろう、と思うことも多いです」







