このような清張が描く女性像の変化は、彼自身の女性経験と深く結びついている。

 清張の女性関係について、手掛かりとなる資料は少ない。ただ少ないながらもいくつか貴重な証言が残っている。

 評論家の権田萬治は、「松本清張さんの作品世界で不幸な中年女が見事に描かれているのとうらはらに、若い清純な女性が人形みたいに不自然なのに不満を持っていた」ので、この点について直接、清張に質問している。清張の回答は次のようなものだった。

「ぼくは若いころ苦労したでしょ。生活の余裕もなかったし、若いときに若い女性と接する機会がなかったんだね。身のまわりにいたのは年上の女性ばかりだった。そして生活に余裕が出て来たころには若い女性とおつき合いできる年齢じゃなくなっていたというわけなんだ」(権田萬治「月報 黒の回廊12」)

 清張作品で「中年女性」が魅力的に描かれることが多いのは、彼自身、若い女性と付き合った経験が乏しいためだった。若い頃、彼は、印刷画工として生活を安定させるのに精一杯で、正社員となったあとも、戦中・戦後の混乱の中で、日々の生活に追われたため、若い女性と付き合う機会がなかったのだ。

偏見が残る時代でも
男女平等に振る舞っていた

 松本清張は酒が飲めなかったため、銀座のバーなど歓楽街に行くことは少なかった。ただ印刷画工として一人前になったのちは、女性たちとの関わりが薄かったわけでもない。優しい性格の清張に惹かれる女性たちはそれなりにいた。

 酒井順子は、文藝春秋で長らく清張の担当を務めた藤井康栄に取材して、次のように記している。

「小倉時代の清張さんについて取材をしている時、清張さんが勤めていた頃の朝日新聞の受付の女性たちにお会いする機会があったのですが、彼女たちは口々に『松本さんは、とっても素敵な人だった』と言っていました。あの頃の働く女性はどこでも辛い思いをしていましたが、清張さんは一人の人間として個人を見る視線を持っていたからこそ、女性に好かれたのでしょう。女性にモテたわけではないけれど、人としての人気がある方でしたね」(『松本清張の女たち』)