私も藤井から似た話を聞いたことがある。
朝日新聞西部本社時代(編集部注/松本清張は28歳から40歳まで、最初は嘱託やがて社員として、印刷画工として広告版下を手がけていた)清張は高等小学校卒の学歴で差別されたが、同様に社内で差別されていた受付の女性たちと苦労を分かち合っていた。米兵の来社があると、受付の女性たちを守るように、英語のできる清張が出てきて、応対することもあったという。
赤坂の花街で働く女性の心は
実地取材を通して学んだ
朝日新聞社時代は、「あの汚い松に女は着くまい」と見下されていた清張だったが、大作家となった後は、「汚れ松」の汚名を返上し、相応に女性たちとの時間を楽しんでいる。
たとえば瀬戸内寂聴は、清張や今東光と講演旅行をした時のことを振り返り、清張の女性関係について、次のような貴重な証言を残している。
「私は清張さんと今東光一座ドサ廻りの旅を御一緒してから、やはりこの人は天才だと思った。どの旅にも原稿は持ってきている筈だが、ある種の作家たちのように、いかにも仕事の多いのを誇るような態度や顔は見せたことがない。つきあうところは、ちゃんとつきあい、夜は今先生とストリップを観にもゆくし、その町に秘戯図の図案の骨董品があると聞くと、それを見に出かけたりしている。
〈中略〉
『松本清張の昭和』(酒井 信、講談社)
今先生のキスマーク事件(編集部注/首にキスマークを付けられた清張に、大根おろしをつければ消えると嘘を教えた)のあった岡山の旅が終った時であった。清張さんのところに、まさに絶世の美女が迎えに来た。夢二の絵から抜けだしたような嫋々たる和服の若い女は、全身から色町の匂いを発散させていた。/「あんないい女が、清張に惚れる筈がない。あれは金が目当だ」/今先生が嫉妬の表情をあらわにして呻かれた。
〈中略〉
今東光先生が嫉っかんで口惜しがってるのを尻目に清張さんと美女はさっさと私たちとは別の車で消えてしまった。/その美女は赤坂の花街に出たばかりの頃、清張さんと縁が出来、落籍されたという。その時、花街の古式にのっとった落籍祝をしたので、当時、花街雀のニュースになったとか。清張さんの全盛の時だった」(『奇縁まんだら』)
赤坂の花街は、『点と線』をはじめ、清張作品でたびたび登場する。清張は実地で女性たちの「取材」を重ねていたのである。「花街の古式にのっとった落籍祝をした」というのが、女性の気持ちを大事にする清張らしい。







