この事件に対しての出演者の受け止めは様々だが、番組スタッフから警告を言い渡されたこの女性メンバーは、かっこいいとは言えない弁解をする。ビジュアルの完璧さと、精神的な未熟さの対比が画面にこれでもかと映し出される。
未熟さを抱えるのはこのメンバーだけではなく、その他のメンバーにも、ところどころでそれがうかがえる。彼らは時として「成長」という言葉を口にし、それによって自分がまだ途上にいることを(あるいは自らがそう認識していることを)それとなく示す。
未熟さをそのまま表に出す
自己演出をしないメンバーたち
中年である筆者はしばらく気づかなかったが、現代の10代から20代にとって、「ラヴ上等」出演者たちは、自己演出や自己プロデュースがあまり得意ではない人々のように映るのではないか。外見こそ派手に盛っているが、コミュニケーションがやはり「昭和」的であり、未熟さを未熟なままに表出するところに、逆に熱がある。
途中で加入するメンバー(ホストの男性とショーダンサーの女性)は職業柄、加入時には「自己演出」を感じる部分がある。
ホストの男性は自信ありげだし、ショーダンサーの女性も「全員落とす」と強気である。しかし二人はその後の展開で、そこまでキャラクターの輪郭が濃くなることがない。むしろ、他のメンバーに感化されて、繕っていたキャラクターを消していく方向に感じた。
人は誰しも、そのコミュニティーに合わせて自分のキャラクターを作ったり、多少変化させたりするところがある。ヤンキーと呼ばれる人たちは(少なくともこの『ラヴ上等』の中では)、喜怒哀楽の中の特に「怒」を躊躇わないし、女性メンバーの数人は何度も涙を流す。
自己プロデュースが求められる現代において、「怒」はひたすらネガティブなイメージが強く、「喜」「楽」が歓迎されるが、彼らの中では別のルールがある。だから怒ったり泣いたりしている人を、それほどの動揺なく受け入れる体制もある。
感情の振れ幅は大きいが、それだけに平然と受け止められている。そこに、『ラヴ上等』が今の時代に新鮮に映る理由があるのかもしれない。シーズン2も今から楽しみである。







