彼が問題にするのは高齢者の影響力の強さである。中高年が支配的なブロックを形成する社会では、その利益が優勢となる。ランシマンは、彼(当時54歳)の子ども(当時12歳)が彼の青春時代の音楽を聴いているのを例として挙げている。
たしかに日本社会でも、前世紀の流行歌がいまだによく聴かれ、芸能人の高齢化が顕著なのも、楽曲の出来の良さや、成熟をポジティブに受け入れられるようになった土壌の変容だけでは説明できそうにない。
また、若者が都市部に集中するため、地方との格差が同時に世代間の格差を意味するようになる。そして、新型コロナウィルスの流行という時代の共通経験は、社会の再統合とは正反対に、高齢者の健康を守るために世代間の優先度の格差をますます拡大させた、と彼は診断する。
ここでもやはり、子どもだけが能力の観点から排除される不条理が指摘される。
ランシマンによれば、選挙権が諸個人に属するのは、私たちが民主的な政治共同体の一員として、私たちに代わって政治家が下す決定の結果を受け入れるためである。そして、その結果を承服できないときのために、意見を表明する権利がなくてはならない。
この投票権の位置づけは大人も子どもも同じのはずだ。また政治教育へのアクセスの容易さを考えると、6歳でもそれなりの意識と知識を身につけられる。
1人1票という民主主義の原則は、高齢者と同様に、子どもの投票権を保障する。子どもは親と異なる政治的な選好をしめす可能性があり、子どもを政治の場に加えた方が、議論の行儀はよくなるはずだ。
小学生2人の判断による多数決を
1人の大人は受け入れられるか?
ランシマンの評価によれば、0歳投票は代理人を確実に必要とするので、1人1票の単純さと明瞭さを失うことになる。これに対して6歳投票は、新しい有権者が学校でいつもしているように、自分で丸をつけたりボタンを押したりできれば可能だ。投票は意見をきいてもらう方法としても有効なので、政治はますます子どもに耳を貸すだろう。







