ランシマンも、子どもの選挙権があっても大人が依然として政治的な主導権を握るとは想定している。しかし、子どもの選挙権は私たちの民主主義に関して、「活性化し、改善し、変化させ、少しは硬直化を和らげ、少しは予測可能性を失わせ、そして少しは陳腐化を防ぐだろう」

 ランシマンの6歳選挙権論をまとめると、1人1票の原則からして子どもの選挙権は当然であり、これによって世代間格差の矯正や、民主主義のいっそうの「民主化」を期待できる。

『民主主義の死角』書影『民主主義の死角』(鵜飼健史、朝日新聞出版)

 そして6歳に拘るのは、それ未満の幼児とは異なり、自らの意志によって行動が可能な最低限の年齢だからであろう。さらに年齢を能力基準に置き換えるのも、慎重に退けられていた。

 ただし問題は、年齢規定を6歳に一律で設定できるか、にある。むろん個人差はかなり大きく出現するはずだ。

 そしてこのルールを実行した場合の各小学校への負担は、地味だが重要な論点である。こうした大人じみた批判は別にしても、気になるのは私たちが受容可能なのかという根本的な疑念である。

 あなたと小学1年生ふたりの計3名で投票して、あなたが少数派だったとしたら、その結果を受け入れられるだろうか。ランシマンの議論で足りていないのは、私たちが新参者を自らと同格と認めることができるのかという契機、すなわち、私たちがともに織り成す公共性に関する認識ではないだろうか。