Photo:SANKEI
1978年、ヤクルトスワローズを初の日本一に導いた広岡達朗監督。だが冷酷な「広岡流指導術」は、選手との間に亀裂を生んでいた。当時の正捕手・大矢明彦がその要因を語る。また、名将・広岡の根底にあったのは、現役時代に指導を受けた巨人のV9監督・川上哲治に対する強い感情だった。「ジャイアンツコンプレックス」はあったのか?著者が尋ねると、90歳を超えた広岡氏が思わぬ言葉を口にした。※本稿は、ノンフィクションライターの長谷川晶一『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。
広岡監督の指示には
説明がまったくない
「広岡さんの場合は、“なぜ、それがダメなのか?”という説明がないんです。“これこれこういう理由だから、アルコールはダメなんだ”という説明があれば、“なるほど、それなら節制してみようか”という気になるのに、それがまったくなかったんです。だからやっぱり、広岡さんに対しては反発する選手の方が多かったと思います」
この言葉を広岡にぶつける。その口調が強くなる。
「なるほど。大矢(編集部注/1969年入団のヤクルトの正捕手・大矢明彦)の言い分も理解できる。だが、いちいち理由を説明する必要があるのかどうか?私には必要ないと思える。当時もそうだったし、今でもそう思っている」
決然とした口調だった。そして、まさにここに、大矢と広岡との決定的な対立がある。大矢の言葉を引用したい。
「甘いと言えば、甘いのかもしれないけど、もっと“なぜなら……”という説明があれば、もう少し結果は違っていたのかなという気はします」







