想像もしていなかった
広岡の「反省の言葉」
――広岡さんには「川上さんを超えた」という思いはまったくないのですか?
この質問に対して、電話口で聞いたこと(編集部注/コロナ禍を機に、高齢の広岡氏への取材は電話でおこなうことが増えた)と若干異なるニュアンスで広岡は言った。
「あのときはダメだったけれど、今なら超えることができると思う。あの頃はまだ信念が弱かった。でも、今なら強いよ。だって、説明ができるから」
このやり取りを受けて、真っ先に思い出したのが大矢明彦の言葉だった。先に述べたように、「甘いのかもしれないけど、もっと“なぜなら……”という説明があれば、もう少し結果は違っていた」と、大矢は言った。
この言葉を改めて告げると、広岡は意外なことを言った。
「あの頃の私は説明ができなかった……」
続く言葉を待った。
「……“やるべきことをやれ”というのは常に言っていた。でも、“なぜやるのか”は足りなかった。今ならば、そんな反省がある」
想像もしていなかった言葉だった。ここ数年の広岡はいつも言っている。
「大切なのは《HOW TO SAY》ではなく、《HOW TO DO》だ」
つまり、「いいか、悪いか」を指摘するだけでなく、「では、どうすればできるようになるのか?」を説明すべきであると述べていた。これまで何度も聞いていたのに、私はこの言葉の真の意味に気づいていなかった。「どうやればいいのか?」の言外には「なぜやるのか?」も含まれていたのかもしれない。広岡は続ける。
「だから、大矢の言うことも、もっともかもしれないね」
『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』(長谷川晶一、文藝春秋)
やはり広岡は是々非々の人である。決して「老害」などと呼んで軽んじられるべき人物ではない。広岡邸を辞する際に彼は言った。
「わからないことがあれば、いつでも電話してきなさい」
そして、いつものようにこう結んだ。
「人生はいくつになっても勉強だよ」







