「コンプレックスなんかあるわけがない」
そして、さらに「打倒・川上巨人」に対する熱い思いが吐露された。その話を聞きながら、大矢の発言が理解できた気がした。
広岡のジャイアンツに対する思いは強い。それは、執念であり、怨念であり、怨嗟と言ってもいいほどであった。この態度こそ、大矢にとっては広岡が抱えるコンプレックスと映ったのも当然のことだった。
しかし、当の広岡自身は、それをコンプレックスとは微塵も感じていない。
「ヤクルトが勝つこと」ではなく
「ジャイアンツに勝つこと」
――見方によっては、あなたのその過剰な執念、激烈な怨念のような思いはコンプレックスの裏返しのようにも見えます。
色をなして叱責されることを覚悟した上での発言だった。しかし、広岡の返答は拍子抜けするものだった。
「……そうかもしれないね。自分ではコンプレックスだとは思わない。ただ、“川上さんのやってきたことを超えたい”という思いだけだった。けれども、あなたの言う通り、それは私の持つコンプレックスなのかもしれない」
そして、広岡はこんな言葉を口にした。
「私が目指していたのは、“ヤクルトが勝つこと”ではなく、“ジャイアンツに勝つこと”だった。“川上さんの野球を超える”という思いだったから。何とかジャイアンツに勝利して、川上さんに認めてもらいたい。そんな思いだったから」
スワローズが勝つことではなく、ジャイアンツに勝つこと――。
それは似て非なるものである。
広岡にとってはジャイアンツ以外の他球団との試合、そして勝利は優先順位のトップではなかった。あくまでも「ジャイアンツに勝つこと」を最優先に見据えていた。
当時、ジャイアンツを率いていた長嶋茂雄のその先にあったのは川上哲治の姿だった。それは、「厳格な父に認められたい」と願う、不肖の息子の心からの叫びだったのではないか?
常に冷静沈着で、勝利のためには非情に徹する冷徹な指揮官――。
そんなパブリックイメージの強い広岡ではあるが、その胸の内にあったのは、かつて自分を追放した川上哲治への燃え盛るような情念だった。それは憎悪であり、反発であり、同時に思慕の念でもあった。







