華やかな世界の裏にある
歌舞伎役者の苦しい懐事情

 そして『国宝』では歌舞伎役者が舞台に立ち続ける姿だけではなく、「生き死にがかかった世界」を生き抜くために、生活者として金銭的に苦労する姿も描かれている。小説『国宝』の読みどころは、歌舞伎の舞台の華やかさと、その裏側にある私生活の厳しさの明暗にある。

 たとえば喜久雄が部屋子となった関西を代表する歌舞伎役者、二代目・花井半二郎については、屋敷こそ往時の大役者の見栄で立派な構えであるが、その台所は火の車である。

 松竹をモデルとしたと思しき「三友」の経理に告げられた借金は、1億2000万円に上り、大阪のお屋敷町にある立派な自宅を売却してもまかないきれない額である。

 喜久雄は「国の予算くらいあんのか思うてましたわ」と、冗談を交えながらも、「その借金、この三代目半二郎が、そのまま相続することできまへんやろか?」とその肩代わりを引き受ける厳しい道を選んでいく。

「その代わり、俺も男や、そうなったら、なんでもやりますわ。どんな仕事でもやれ言われたらやりますさかい」と見得を切った喜久雄は、三友から容赦なく、次々とドサ回りの仕事を入れられ、地方の観光ホテルで開催された宝石の即売会の余興にまで出演させられる。

映画とテレビの登場で
不遇の時代を迎えることに

 喜久雄にとっては弾けたバブルの不良債権処理に一生を捧げるような、何とも割に合わない日々が続くが、このような高度経済成長期以後の厳しい生活は、喜久雄に限らず、他の歌舞伎役者も経験したものである。

 かつて喜久雄から大舞台の役柄を奪い、喜久雄を大部屋の役者のように扱っていた姉川鶴若は、バブル期に高い金利で不動産に手を出して、借金が焦げ付き、若手芸人が取り仕切るコント番組に出演するようになる。

 吉田修一の『国宝』で鶴若は「女形ピンク」という役柄を与えられ、頭に「でっかいお釜」を被らされて「戦隊モノのパロディ」をやらされており、敵を倒し損ねると、若い共演者たちからバケツで水をかけられたり、ワイヤーで吊り上げられてグルグルと回されてしまう。