「三つのころから小学校にも行かんと、舞台に立って」きたという鶴若は、「戦中戦後をほぼ舞台の上で過ごし、人知れず芸を磨いて」きた女形であり、苦労して歌舞伎界を生き抜いてきた役者である。このような鶴若がテレビで若手芸人たちに「いじられる」描写は、映画「国宝」で描かれなかった、吉田修一の『国宝』の山場の1つである。
他にも経済的な理由ではないが、小説『国宝』では小野川万菊が、華やかな役者人生の最期を、山谷のドヤ街の1泊2000円にも満たない安宿で迎えるなど、傍目に哀れなほどに身を持ち崩していく。
映画「国宝」でも田中泯が演じる万菊が、ドヤ街の安宿に喜久雄を呼び寄せ、「鷺娘」の「舞い」を伝授する姿が、強烈な印象を残すが、「朽ちてゆく芸人への憐れみは、同時に世間の優越でもあるのでございましょうか」という『国宝』の一文は、映画とテレビの時代を生き抜いてきた歌舞伎役者たちの人生の悲哀を物語っている。
歌舞伎しか知らない子供は
「小さな水槽」から出られない
彼らもまた梨園という「小さな水槽」の中で妖しく輝き、時に溺れながら、その水槽から出ることのできない、筋金入りの歌舞伎役者なのである。
『吉田修一と『国宝』の世界』(酒井信、朝日新聞出版)
子供の頃から歌舞伎座で遊び育ち、舞台に上がり続けるより他ない歌舞伎役者の人生について、喜久雄は次のように述べている。
「1日のほとんどをこうやって楽屋で過ごすんです。1日のほとんどってことは、人生のほとんどってことですからね」と。
敗戦後、GHQの占領下で伝統文化の排斥が行われ、経済的な困窮も相まって、「日本文化の保全」が切実な問題となっていた。銀座の歌舞伎座が空襲で焼失し、廃墟となって放置されていたことに象徴されるように、戦火によって主要都市の市街地を消失した日本は、歌舞伎を披露する芝居小屋の多くを失い、歌舞伎の舞台を愛する多くの人々を失っている。







