風呂上がりに、夕陽の中にシルエットで浮かぶ富士山を遠くに眺めながら酒を飲む。初めて飲んだジントニックの味と初めて食べたスモークサーモンの味は、今もはっきりと覚えている。帰り際、母から親父の財布を渡されフロントで会計を済ませるのが僕の役目だった。僕が財布と領収書を持ち帰ると、母がそれを受け取り、「お父様、ありがとうございました」と礼を言い父に渡す。それにつられて僕らも「ありがとうございました」と小声でなぞる。ちょっとした儀式でゴルフは終わる。

82歳で2度目の脳梗塞を患い
深刻な後遺症が残る

 親父とお母さんと最後にゴルフに行ったのは、2人が亡くなる10年も前のことだろうか。当時、親父はテニスクラブも退会し、あれだけ好きだったスキューバダイビングもやめてしまった。そんな中、久々にゴルフに行く話が持ち上がった。メンバーは、僕の奥さんを加えての4人。

 いつものゴルフ場で、いつものように最終組スタート。親父は「あ~、飛ばなくなった」と昔と同じく腹を立て、母はブーゥン、ブーゥンと一段と遅くなったスイングで球を打つ。最終組はスロープレーの極み。そのうち心配していた雨が、ポツリポツリと落ち始めた。雨が降り出したら親父はもちろん途中棄権。母も親父に付き合って迎えのカートに乗り込んだ。折角、休みを取ってやって来た僕と妻は、最後までプレーしようと試みたが雨が強まり途中で断念した。

 クラブハウスに戻ると、風呂から上がった親父が暖炉の前で老眼鏡をかけて本を読んでいた。誰よりも行動的で誰よりも遊びに貪欲だった親父も齢を取った。それでも、最後までプレーできなかった事を一番悔しく思っていたのは親父に違いない。3ホールだけのゴルフが、親父とお母さんとの最後のゴルフとなった。

 政治家を辞めても作家としては現役バリバリのエネルギッシュな親父だったから、それまで親父が齢を取ったと感じることはなかった。ただ、酒量は明らかに減っていた。なじみの店のカウンター席につくなり、ビールと燗酒と白ワインを頼むということは、いつしかなくなっていた。

 そんな親父の晩年というのは、82歳で2度目の脳梗塞の発作を起こしてからということになるだろう。その時、家で転倒して大腿(だいたい)骨を骨折し母親は家に不在。母の目を気にせず暴飲暴酒に走った結果が脳梗塞なのだというぐらいに、僕らは親父の病状を最初は楽観視していた。でも実際は、事態はかなり深刻だった。