怒ったり笑ったり、2人のそんな様子を横で息子や娘も見ていた。介護は20年も経てば、僕の問題に置き換わる。その時の介護する者とされる者、お互いのために手のかかるおじいちゃんの介護風景はきっと参考になるに違いない。
「俺は3カ月で死ぬってよ」
最後まで複雑な親子関係
「俺は3カ月で死ぬってよ」。ある日、怒鳴り声で親父から電話がかかって来た。
それは僕がちょうど、好き勝手に病院へ行くのは止めて欲しいとお願いした日のことだった。この日もどこか腹の具合が落ち着かない親父は、秘書を呼びつけて勝手に病院へ出かけてしまった。すると医師はいとも簡単に、親父に向かって余命を告げたという。この電話は、病院行きを阻もうとした僕に謝れということなのだろうか。親父の余命が3カ月と聞いたばかりの僕は、とりあえず「どうも、すみませんでした」と電話の向こうの親父に謝った。それはとてもとても不思議な会話だったと思う。
『石原家の兄弟』(石原伸晃・石原良純・石原宏高・石原延啓、新潮社)
偶然の膵臓(すいぞう)癌発見。重粒子線治療の効果。そこから1年半、日常生活を送れたことが奇跡だった。あの時点では、親父のエネルギーはまだまだ病魔を遥かに上回っているのだと僕は信じていた。だから親父の言葉を聞いてもピンとこなかった。しかし、病気は着実に進行していたのだ。
親父が3年。お母さんが10年。まだまだ長く続くと思っていた石原家の介護は、あっさりと幕を閉じた。事務長の僕が目指した石原家の介護システムは、最後まで機能していたと思う。それは兄弟、僕の家族、石原家のスタッフ、介護施設スタッフ、病院スタッフ、皆さんのおかげだ。
今でも介護の日々が、時に我が家の晩酌の話題に上る。そんな時は、妻と2人で大爆笑。つられて息子も娘も大爆笑。やっぱり、石原家は介護も変わっていた。







