労働世界の外部でもっぱら営まれるというこの特徴からすると、今日の飲酒行為のうちに、脱労働的な性質を読みとるのは、きわめて妥当な解釈のように一見思われる。酒を飲むという行為が、空間的にも時間的にも、生産労働から隔離された営みであることを、この特徴は意味しているからである。

 しかも、今日の勤労者たちにとって飲酒行為が、労働時間の終了(遊びの時間の到来)という意味を濃厚にまとっていることをふまえると、この解釈の妥当さは、なおさら自明に思えてくる。

産業社会の論理なくして
近代の余暇飲酒は語れない

 たとえば文化人類学者のガスフィールドによると、近代社会において飲酒という営み(とくに職場仲間との社交的な飲酒や、帰宅後の飲酒)は、仕事の場面から遊びの場面への移行を象徴する余暇活動として、人びとに意義づけられ実践されている。それは、まじめさや規則正しさ、職階の厳格さを特徴とした労働時とは対照的な雰囲気(不道徳さや平等性など)をつくりだす特性を、アルコールが備えているからだと、ガスフィールドは指摘する。

 この種の解釈が、余暇の飲酒実践のある側面を、適切にいいあてているのはたしかである。だが、余暇飲酒の成立史をふまえるならば、これとはまたちがう解釈も、必要となってくる。そもそも、仕事の時間が終わるのをまって、職場から離れた空間で酒を飲む習慣とは、理性的で禁欲的な労働力を欲望する、産業社会の論理が生み出したものだからである。

 進めて言えば、余暇飲酒の普及の歴史とは、近代的な職業倫理にしたがい、職場での飲酒を忌避する態度を、都市勤労者たちが内面化していった過程にほかならない。まずはこのような視点から、近代アルコール文化の労働従属性をあきらかにしていこう。

職人たちの中では
仕事中の昼酒は当たり前だった

 福沢諭吉が中津藩士の家に生まれたのは1835年、天保年間のことである。その福沢は自伝のなかで、酒との付き合いの変遷を、こう振り返っている。幼い頃から自分は「図抜けの大酒」飲みで、「無法な大酒家」であった。とくに「年二十五歳のとき江戸に来て以来、〔略〕朝でも昼でも晩でも時を嫌わず能くも飲みました」。「三十二、三歳」になり、「養生」のため朝酒・昼酒をやめるまで、このような無秩序な飲み方を続けていたと福沢は回想する(福沢諭吉「福翁自伝」)。