幼少時代から大酒飲みというのは、19世紀でもややめずらしいが、「朝でも昼でも晩でも時を嫌わず」飲むのは、近世社会ではよくある習慣であった。むろん、近世社会でも、晩酌は広く行われていたものの、酒を飲む時間帯は、後の時代ほど夜に固定されてはいなかった。
農業従事者以上に昼酒慣行が目立って見えていたのは、職人たちである。「諸職人」が「朝昼夕の三時の食物の外に随時に労を慰する為に酒、餅の類を用いた」というのは、室町時代からの慣行であった(魚澄惣五郎「室町時代の風俗」)。「細工中」に仕事現場で酒を飲む職人たちのこの慣習は、近世になっても多くの地域で続いていた。その形跡は、各藩の建設監督当局が職人仲間に出した禁止令や、同業組合の規約などに、多数のこっている。
1831年、信濃国の同業組合が、上田藩に提出した組合規約を見てみよう。職場飲酒に対する普請奉行の警告をうけて策定されたこの規約で、各組合は、「施主が職人に気兼ねして酒食を提供してきても必ず断り、また乱酒・雑談に時間をついやす者があれば、仲間で吟味の上、役所に届け出ること」(大工職)、「細工中は飲酒を禁じること」(左官職)、「現場では「禁盃」に努めること」(畳職)を、それぞれ今後の遵守事項として掲げている(『上田市史』)。つまり、警告通り、どの組合でも勤務中の飲酒が常態化していたわけである。
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飲酒時に平生とは異なる心身状態が生起することは、近世の人びとにも広く知られていた。職人たちも、労働中の飲酒が緻密な作業を難しくするのは、おそらく経験的に理解していたと思われる。だが、正体をなくすほど大酒する機会が限られていたこともあってか、職人衆やかれらの依頼主たちは、作業の正確性や効率性に酒が及ぼす影響を、それほど気に留めていなかった様子である。







